東京・新宿区、新大久保での保守系市民団体によるデモ(2012年撮影:yekava roboto)
東京・新宿区、新大久保での保守系市民団体によるデモ(2012年撮影:yekava roboto)

大久保に来る韓流ファンはおもに中年女性、というイメージがあるのですが、実際は、10代の子たちも結構いる。彼女たちはあまりお金を持っていないでしょ うから、買い物するっていうよりも、韓流ショップに行って、韓国人の店員のお兄さんたちと話をしたりするのが好きなんだろうと感じます。

そんな女の子たちからすると、その韓国人のお兄さんたちのことを「死ね」とか「殺せ」とか言っているレイシストが許せないわけですよ。地元の住民も そうです。ビラまきをやったら、すごく反応がいい。たとえば、飲み屋で働いている若い男性が「俺の店の店長は在日だよ。死ねとか殺せとか、とんでもないよ ね。外交問題を持ち出して普通の人を攻撃するのはおかしい」とか言ってくる。

10代の女の子たちとかも「あいつらを蹴りに行く」とか興奮していた。ごくたまに「韓国人はあんなこと言われても当然だ」という人たちもいたけど。とにかく、ここでいま、何が起きているか、人びとが理解できるようになった。

レイシストのデモが大通りに現われると、しばき隊やプラカ隊が「帰れコール」をやるのですが、気がついたら、さっきビラを受け取った女の子たちとか、大根の入った袋を持ったサンダル履きの近所のおじさんも一緒に「帰れコール」に加わっていたこともありました。

当時、レイシストのデモは月に2回ぐらい大久保に来ていました。僕や友人たちもそのたびに大久保に足を運んで、ビラをまきました。ただ、デモの音量 が大きいときは、ビラの受け取りも悪いんですね。レイシストの仲間と誤解されるから。だから「今から差別デモが通ります」「差別デモに抗議中です」と伝え るプラカードを作って、レイシストのデモに背を向けて、沿道の人たちに見せながら歩きました。

これは告知だけではない効果も発揮しました。レイシストのデモって、見る人にかなりショックを与えるものなんですね。ある集団からいきなり「殺せ」 とか言われるんですから。歩いているだけの韓流のファンまでもが、「日本の恥だ」などと至近距離でののしられる。しかも自分たちこそが日本の代表だといわ んばかりに大量の日の丸を持っている。だから、そのあいだにプラカード隊が割って入って「デモをしているのはこういうひどい人たちです」と伝えることは、 ののしられる側のショックをやわらげるクッションの効果も持つんですね。

次に、そのプラカードをネット上にアップして、誰でもプリントアウトできるようにした。「プラカ隊」の人たちも使ってくれました。

差別街宣に対する抗議は回を追うごとに大きくなっていきました。レイシストのデモの参加者は150~200人程度なんですけど、抗議する側は6月末 には1000人ぐらいになって、しばき隊などの呼びかけで、デモの出発地点の公園の周りを包囲して、デモを出させない構えをみせるところまでいったんで す。

こういう動きにメディアの注目も集まり、行政を動かすひとつのきっかけになりました。
それで6月30日のデモのあと、レイシストは大久保に登場できなくなった。もう一度、9月8日にも大久保でデモをしましたが、そのときは、デモの前方の車道上でこれに抗議する座り込みをおこなう人びとも現れました。それ以降、レイシストは大久保でデモはやっていません。

大久保のことが一段落したことで、「知らせ隊」では、こういう事態の背景にある「根」を考えるべきじゃないかと話し合うようになりました。歴史的な経緯も含めて、そういう視点を提起できないかと考え始めたんです。(つづく)
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※在特会(在日特権を許さない市民の会)
「行動する保守」を標榜し、在日韓国・朝鮮人が持つ、特別永住資格などを「特権」と呼んで、その剥奪を目指してデモや集会などの活動を続ける。
※しばき隊(レイシストをしばき隊)
在特会などによる街宣活動やデモは差別を扇動しているとして、街頭などで反対行動をおこなう団体。その後、C.R.A.C.(対レイシスト行動集団)に再編。
関東大震災と朝鮮人虐殺事件
1923年(大正12年)9月1日、相模湾沖を震源とする大地震は関東地方に多大な被害をもたらした。震災直後の混乱のなかで、「朝鮮人が井戸に毒を入れ、放火してまわっている」などとする流言蜚語が飛び交い、東京や横浜などで朝鮮人が戒厳軍や自警団などによって殺害された事件。朝鮮人のほかにも中国人、社会主義者や労働運動活動家らが多数殺害されている。
加藤直樹(かとう・なおき)
1967年東京都生まれ。法政大学中退。編集者。出版社勤務を経てフリーランスに。「九月、東京の路上で~1923年関東大震災ジェノサイドの残響」が初の著書。


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