◆楽しかったあの日に戻りたい
1月中旬、トルコ南部のアンタキヤの団地街でシリア難民たちの集まりが開かれると聞き、アイマン・ファードさん(54)の部屋をたずねた。
シリア人難民のアイマンさんは2年前、アレッポの自宅を政府軍の空爆で破壊され、妻と4人の子どもたちでトルコに避難した。トルコ語が話せないため 仕事がなかなか見つからず、苦しい生活を余儀なくされていた。同じ境遇のシリア人たちの心の支えになればと、ときどき近所に暮らす避難民たちをアパートに 招き、ささやかな集まりを開く。
夕暮れどき、15人ほどがアイマンさんの家に次々とやってきた。多くはシリア各地から逃れてきた20代の若者たちだ。戦闘の続くシリアでは、最初に娘や息子を安全な外国へ逃すケースが多い。かれらは、医師や学生をしていたが、内戦ですべてをあきらめ故郷をあとにした。
政府軍への協力を拒んで脱走した元空軍兵士もいた。いずれも共同生活などをしながら、難民支援のNGOなどで働いている。
この日はアイマンさんの妻が、自慢のアラブ料理を振舞った。「少しでも家庭の味を」という思いからだ。タブーレ(パセリのサラダ)、ホムス(ひよこ 豆のペースト)、クッバ(引き割り小麦の肉詰めだんご)などの懐かしい料理が並ぶ。一家のせいいっぱいの心づくしに、若者たちは感謝の言葉を伝えた。
アイマンさんはテレビやネットで見た面白い話など、冗談で場を盛り上げ、若者たちから、笑い声がこぼれる。
食後の紅茶の後、伝統楽器のウードと、太鼓を持った若者たちが演奏を始めた。郷愁を誘うアラビア語の歌が部屋に響く。
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