3月28日、渡嘉敷島で村主催の「集団自決」の慰霊祭が行われた。遺族ら130人が、村関係の戦没者をまつる「白玉の塔」に参拝、犠牲者を追悼した(撮影・栗原佳子)
3月28日、渡嘉敷島で村主催の「集団自決」の慰霊祭が行われた。遺族ら130人が、村関係の戦没者をまつる「白玉の塔」に参拝、犠牲者を追悼した(撮影・栗原佳子)

村は3月28日を「慰霊の日」と定めており、慰霊祭を実施。昨年からは「自決」跡地や日本軍(赤松嘉次第三戦隊隊長の名前から「赤松隊」と呼称)の本部壕跡など を戦争遺跡として整備してきた。この日、慰霊祭が終わったあと、村職員の案内で、遺族らは現場に足を運んだ。

「集団自決」の現場は急な谷間。設置された手すりを頼りに、高齢の人たちもゆっくりと降りていった。

筆者のすぐ前にいた女性が背中を震わせながら、琉球方言でつぶやいた。
「思い出すさー。あっちでもこっちでも、わー わーして。私は手榴弾が不発だったから」
(=思い出します。あちらこちらで叫び声が響いて。私は手榴弾が不発だったから助かりました)
谷底までに降りた人たちは涙ぐみながら、手を合わせていた。

同じく整備された赤松隊の本部壕跡は、十数カ所の壕が沢沿いに確認できる。当時15歳だった小嶺正雄さん(84)は手りゅう弾が不発で生き延びた。
「危ない時代になりつつあります。平和の大切さを語り継いでいきたい」と話した。

【栗原佳子 新聞うずみ火】

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