◇「原発の構造上の欠陥 損傷は不可避」
原発を動かすにために必要な核燃料棒集合体。その燃料棒に小さな穴があくトラブルが多発していたことが明らかになった。1973年に美浜原発で起きた燃料棒トラブルの調査をした経験を持つ京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに、燃料棒に関する問題点などを聞いた。(ラジオフォーラム)
◆隠蔽体質は昔からあった
ラジオフォーラム(以下R):73年に美浜原発で起きた、燃料棒が折れて損傷したという事故について教えて下さい。
小出:美浜原子力発電所は、1970年の大阪の万博に合わせて発電を開始しました。そして、73年4月、第2回 目の定期検査をした時に、燃料棒が折れて粉々になっており、合計1メートル70センチにもわたって無くなっていることが発見されました。ところが、発見を した途端にそれを隠してしまい、その事故が発覚したのは1976年の暮れでした。そのときになって初めて、「あっ、そんな事故があったんだ」ということが わかったわけです。
R:この事故の調査に小出さんも加わったそうですね。
小出:はい。その事故の調査を日本原子力研究所という所でやったのですが、美浜の原子力発電所から日本原子力研 究所に壊れてしまった燃料のかけら等を輸送するために、特殊な容器が必要になりました。その容器は当時、私が勤務している京都大学原子炉実験所にしかあり ませんでした。
それで、当時の京都大学原子炉実験所の所長であった柴田俊一さんという方が、「容器は貸すけれども、きちんと自分たちで調査をするからデータを寄こ せ」ということで関電と合意をしまして容器を貸しました。そして、京都大学原子炉実験所の中に調査委員会を作りまして、私もその一員として調査に加わりま した。
で、まあ一番驚いたことは、日本の原子力開発というものが、本当に酷い事故が起きてもそれを隠してしまうような体制だったということです。
R:どのような調査結果が出たのですか。
小出:結論から言えば、燃料棒が壊れたのは原子炉の構造の欠陥によるものでした。少し専門的になって申し訳ない のですが、燃料集合体を配置してある場所は、バッフル板という特殊な鋼鉄の板で外側が囲われているのですが、そのバッフル板に隙間があって、そこから想定 していなかった横方向の水が炉心に向かって流れ込んだことで燃料棒が振動し、そして壊れてしまったということが分かりました。その問題は今でも根本的な解 決に至らないまま続いていますので、今後もまた起こりうるのではないかと私は心配しています。