妻子の到着 新たなイラン生活の始まり
アパートが決まり、妻子のビザと航空券が発給される見通しがついたのは、イラン正月ノウルーズの長い休みが明けた4月上旬のことだった。
アパートは、かつて暮らしたシャフララ地区で見つけた築30年ほどの3階建て物件だ。部屋はその最上階にあり、1階には食器など生活雑貨を売る店と弁当屋が入っている。
アパートの目の前には、小道一本挟んでシャフララ公園が広がる。中央に大きな池を配したこの公園には、幼児向け遊具から大人向け体操器具、卓球台も あり、一日中チェスに興じる人びとが集う一角もあれば、ウォーキングに励む中年女性たちもいる。アイスクリームや焼きトウモロコシ、チャイの売り子もい て、早朝から深夜まで人が絶えない賑やかで見通しの良い公園だ。
妻と二人のときにはそれほどこの公園を訪れたことはなかったが、子どもが出来て公園が重要になるのは日本もイランも変わりがない。そんな公園がアパートの眼下に広がるという素晴らしい立地だった。
5月、息子が1歳の誕生日を迎える直前、私は約3カ月ぶりに日本に帰国した。そして3日間の滞在後、妻と息子を連れて成田に向かった。
イラン人で埋まったイラン航空機の機内は、すでにイランそのものだ。息子が座席越しに後ろの乗客に笑いかけると、どれこっちへおいでと息子を抱き上 げ、あやしてくれる。少しして後ろの座席を覗き込むと、すでに息子の姿はなく、少し離れた乗客のひざの上にいる。そのままバケツリレーのように息子はあち こちへ手渡され、一向に戻ってくる気配がない。しまいには妻が取り戻しに行ったが、戻ってきたのも束の間、今度は乗務員が息子をひょいと抱きかかえ、乗務 員用スペースに連れ去ってしまった。
息子の初めてのイラン体験はこんなふうに始まった。疲れも見せず、満ち足りた表情で男性乗務員に抱えられながら戻ってきた息子を見て、イランで子育 てをしたいと思った自分の目論見が間違っていなかったことを確信した。毎日たくさんの人から笑顔をもらい、言葉をかけられ、抱き上げられ、ブチューと頬に キスしてもらう。そんな幸福な幼年期を過ごすことで、強い自己肯定感を養ってほしい。そう願ったのだ。イランの子どもたちがそうであるように。
もちろん、機内での息子への特別待遇は、あくまで彼が日本人の赤ちゃんだからであり、イラン人の赤ちゃんなら当のイラン人からそこまでちやほやされ ることはないだろう。それでも、首都テヘランのような、核家族化が進む都市部においてさえ、子どもたちは親族や地域という大小のコミュニティーの中で、大 人たちや年上の子供たちに大変可愛がられて大きくなる。そういうお国柄だから、きっと我が息子もその恩恵に与れるに違いないと考えたのだ。
13時間の旅の果て、闇に砂金をばらまいたかのようなテヘラン市街の夜景が近づくと、イラン航空機は開業して間もないイマームホメイニ国際空港に到着した。
空港から30分。対向車もほとんどない未明のハイウェイを突っ走り、タクシーは見慣れた住宅街に到着した。乾いた夜気が心地よかったが、トランク3 つを3階まで担ぎ上げると、さすがに汗が噴出す。カギを回し、部屋に上がると、塗りたての壁のペンキと、張り替えたばかりのナイロンカーペットの匂いが新 居を感じさせた。
「へえ~」と妻が部屋を見渡す。間取りは、8畳ほどのリビングに6畳ほどの寝室、それに4畳ほどの小さなキッチンだけで、広さは50平米もないが、親子3人の小さな一家には不足はないだろう。
だが、妻にとっては、間取りや収納の多さ、窓からの眺めがいいなどといったことは二の次で、何よりここが、家族3人の住まいであることが嬉しいと言 う。1年余りに渡って夫の実家に居候してきた彼女にとって、今はイランに戻ってきた喜びよりも、自分の住居を得て、そこで自分の思い通りの子育てをしてゆ ける喜びの方が勝るのだ。私が改めてこの国で自分のキャリアを切り拓いていこうと決意していたように、妻もまた、新たな家族の時間と独自の子育てをこの地 で打ち立てていこうと、決意を胸に秘めていたのだ。
初めての子連れの空の旅で疲れ果てていた私たちは、すでに寝息を立てている息子の脚にサチュレーションモニターを取り付けると、倒れこむように横になった。睡眠時の無呼吸を知らせるこのモニターは、「ピッピ」の愛称で我が家になくてはならない存在となっていた。
(ピッピッピッピ――)
聞き慣れた電子音が新居の暗闇に響くのを聞きながら、私は初めて家族の新しいイラン生活が始まったことを実感した。
現地時間午前8時。まだカーテンも付けていない南向きの窓から、早くも眩しい朝日が差し込む。時差のせいかわずか3時間ほどで目が覚めた。
さっそく息子を抱えて近所のナン屋に焼きたてのナンを買いに行く。イランに数あるナンの種類の一つ、サンギャッキ。焼き釜の中に敷き詰められた小石 の上で、生地を広げて焼き上げる。焼き立てを苦労して抱えながら、商店に寄り、バター、白チーズ、蜂蜜、牛乳を買って帰った。熱々のサンギャッキに甘い蜂 蜜としょっぱい白チーズをはさんで食べる、妻にとっては懐かしいイランの朝ごはんだ。
その後、3人でアパート各階の住民に入居の挨拶をした。幸いどの家族にも小さな子どもがおり、多少の騒がしさや泣き声は大目に見てもらえそうだ。
それから近所のバザールへ日用品を買い揃えに出かけ、公園をぐるりと一周し、以前からなじみのケーキ屋に顔を出し、家に戻った。
その間、やはり実に多くの人が息子に声をかけ、抱き上げてくれた。初めて家族でテヘランの町を歩いてみて、気づくことがあった。息子はもちろんのこと、子どもを連れていることで、私と妻もまた、以前よりもずっと人びとに受け入れられていると感じたのだ。
息子に優しい眼差しで話しかけてくる人には、おのずと警戒心を抱くこともなく、私たちは終始リラックスしていられた。そういう無防備さが表情にも出 ていたのだろう。見知らぬ相手もまたリラックスしているように見えた。妻がイランに初めてやってきたときも、自分の立場が随分と無難なものに変わったこと を感じたものだが、今回はそれ以上だ。家族、親族の絆を重んじるイランだからだろう。
「毎日いろんな人に会わせて、脳への刺激をどんどん与えてあげようね!」
妻の言う通りだ。脳幹の不完全によると見られる息子の呼吸の問題は、脳に刺激を与えて脳幹の発達を促すことで、改善に向かう可能性もある。イランでの日々がきっとよい結果をもたらすに違いないと、私たちは頷き合った。