◆アメリカ政府による砂川裁判への干渉の秘密工作
1959年3月30日に東京地裁で「米軍駐留は違憲」の判決が出された翌日、3月31日の早朝8時、当時のマッカーサー駐日アメリカ大使は、自民党・岸信 介政権の藤山愛一郎外相とひそかに会い、この判決に関して日本政府が早急に最高裁判所への「跳躍上告」の手続きをとるようにうながしたのです。
通常の手続きとしては東京高裁に控訴するのがあたりまえですが、日米両政府にとっては「米軍駐留は違憲」の判決を1日も早く逆転させる判決を得ることが、緊急の課題だったのです。
藤山外相はマッカーサー大使の求めに応じて、1時間後に開かれる閣議で、この上告が承認されるようにうながしたいと答えました。
そして、4月3日に日本政府は最高裁への「跳躍上告」を決定しました。
しかし、これは驚くべきことです。
外国の一大使が赴任先の国の裁判所で出された判決に不満だから、それを急いでくつがえすため、通常の手続きを飛ばして、いきなり最高裁に上告するよう、他国の外務大臣に強く求めているのです。
普通では考えられない内政干渉、外国政府の中枢にまで政治的工作の手を伸ばす主権侵害そのものといえる行為です。
このような一連の動きは、もちろん当時は限られた関係者以外は誰も知らなかった秘密のできごとでした。
それが明らかになったのは、2008年4月に日米密約問題に詳しい国際問題研究者の新原昭治氏が、アメリカ国立公文書館で発見した、1959年当時の駐日アメリカ大使館からアメリカ国務省への秘密電報に、マッカーサー大使らの動きが記されていたからです。
アメリカの情報自由法にもとづき秘密指定解除(30年をへた政府文書は原則として開示)された文書、すなわち解禁秘密文書によって、アメリカ政府の秘密工作の事実が明らかになりました。
秘密電報の内容など詳細は、今年7月に出版された『検証・法治国家崩壊』砂川裁判と日米密約交渉(吉田敏浩・新原昭治・末浪靖司著 創元社)に書かれています。
そして、マッカーサー大使はさらに、当時の最高裁判所のトップである田中耕太郎最高裁長官にまで、ひそかな接触の手を伸ばしていきました。 続きを読む >>
【吉田敏浩】