● 漁師が海の汚染を発表する苦悩
R:これまでどのように調査が行われ、どのような成果があったのでしょうか。
小出:調査を始めたのは78年頃からだったと思います。初めての結果を得たのはその翌年で、伊方原子力発電所の前面の海が放射能で汚れているという事を公表しました。
調査をしたのはもちろん伊方の住民でして、中には漁民もいたわけです。その漁民がいつも漁をしている海が汚れているということを自分の手で調べて公表するというのは、大変苦渋に満ちたことだったと思います。
でも、調査をしてすぐに「やはり海が汚れている」ということがわかりました。当時は、四国電力としても、海に流す放射性物質の量についてそれほど気にしてはおらず、まさか住民の手でそんな汚染が検出されるとは思っていなかったはずです。
私たちの調査で汚染が見つかったということで、四国電力としてもやはり、「これはまずい」と思ったのだと思います。それから海へ流す放射能の量を少 しずつ少しずつ減らしてくるようになりました。それにつれて、住民たちの調査でも段々、海の汚染が少なくなってくるということがわかってきまして、10 年、20年、30年と調査を続けてきたわけです。
一応、住民たちが監視をすることで、四国電力の方も海へ流す放射能の量を少しでも減らすということに結び付いてきたわけですし、住民たちの苦渋に満ちた調査というものも、それなりに役に立ったのだと私は思います。
● 市民と専門家を超えた付き合い
R:5月に最後の調査結果の発表が行われましたね。長年にわたり地元の人々と続けてこられたこの共同作業は、小出さんにとってどのようなものだったと言えますか。
小出:調査を始めた時、住民たちの団体は「磯津公害問題若人研究会」という名前でした。私もそうでしたけれど も、彼らもみんな20代という若者だったのです。それが、今ではみんな60歳を超えた年寄りになってしまいましたし、一定の役割を果たしたという思いもあ り、これで調査を一応は終了させようかということになりました。それで先日、記者会見を開いてもらって、これまでの調査結果を聞いていただくことになった のでした。
私は原子力の専門家ですし、彼らはもちろん原子力の専門ではなくて、それぞれに漁師であったり、農業を営む人であったり、あるいはサラリーマンで あったりという、そういう人たちでした。でも、みんな生きているんですね。それぞれの自分の場所を大切にしながら、それぞれ懸命に生きようとしていた人た ちがいて下さったわけです。私は、言ってみれば原子力なんていうヤクザな世界で生きてきたわけですけれども、本当に素朴に自然と向き合って生きていてくれ る人たちがいる。
そして、原子力というものの正体というのでしょうか。電気を使う都会ではなくて、自然に寄り添うように生きている人たちのところに危険を押し付けて くる。そういうものがどうしても我慢できないという、そういう気持ちだったのだと思います。そういう彼らの気持ちを私も共有できたために、長い間一緒に やってこられたのだと思います。
中には原発建設を阻止した町もある。だが阻止できなかったとしても、伊方のように住民が出来うる限りの抵抗をし、環境の改善を勝ち取ってきた町もあ る。地元住民と専門家が協力し、地道な努力を続けることで、電力会社の姿勢に変化を与えることも出来るという、この先人たちの貴重な歩みを今、見つめ直す 必要がある。