愛媛県にある伊方原発では、運転開始間もない1978年から地元住民の手で環境汚染調査が行われ、周辺海域の放射能汚染の実態が公表されてきた。そ れはこの原発を運営する四国電力への大きな働きかけとなり、汚染を次第に減らすという成果をもたらした。33年に渡ったこの調査の終了が先ごろ発表された ことを受け、長年この調査に携わってきた京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章さんに、これまでの経緯をたずねた。(ラジオフォーラム)
● なぜ電力消費の小さな自分たちの町に原発を建てるのか
ラジオフォーラム(以下R):原発再稼動の有力候補の一つである伊方原発ですが、地元住民による環境調査を小出さんは長年に渡って支援してこられました。どのような経緯でこの調査と関わるようになったのですか?
小出:私自身は学生の時に、宮城県仙台市の東北大学という大学におりました。その頃に、東北電力が女川という所 に原子力発電所を造ろうとしていました。女川というのは、三陸にある小さな漁業の町でした。そこに東北電力が原子力発電所を造ろうとして、私自身は最初は それに賛成というか、ありがたい事だと思ったのです。私自身が原子力をやりたいと思っていましたので。
でも、女川の人たちが、「なぜ電気をたくさん使う仙台ではなくて、自分たちの住む小さな町に原子力発電所を建てるのか」という疑問の声を上げたた め、私自身はその疑問に答えなければいけない、原子力発電所というものの存在を自分自身できちんと考えなければならない、と思うようになりました。今から 思えば当たり前ですが、ようやくに辿り着いた答えは、原子力発電所とは都会では引き受けることができない危険を抱えているというものでした。そうなれば、 私は原子力を認めることができず反対するようになり、そして、女川に半ば住み込んで、原子力発電所に反対をするようになったのでした。
74年から京都大学原子炉実験所という所に職を得まして、こちらに来たのですけれども、ちょうどその時から伊方原子力発電所に対しての裁判が始まっ ていまして、私もその裁判に関わるようになりました。私自身が証人として裁判所に出廷したこともありますし、たびたび現地に行ったり、裁判の傍聴に行った りしたのです。そんな中で、伊方の現地の人たちとも話をする機会がたくさんでき、伊方の住民たちと海の汚染の調査を始めました。
R:もう40年にわたっての関わりということですね。
小出:はい。伊方原子力発電所1号機は1977年から動き出してしまったのですが、動き出してしまえば、当然、 放射能で環境が汚れます。住民たちは女川と同じように、「なんで四国の一番大きな町である高松とか松山に原子力発電所を建てないで、自分たちの所に建てる のだ」という疑問がどうしても抑えられなかったわけです。そこで、自分たちの住んでいる町がどのように汚染されていくのかを自分たちの手で明らかにしたい と言い出したのです。
私は原子力の場にいる専門家として、彼らの疑問に答えるために仕事をしなければいけないと思い、それ以降、彼らと一緒に調査をすることになりました。
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