◆26年前「毒ガス攻撃」受けた町ハラブジャで9日
1988年、当時のフセイン政権による化学兵器攻撃で多数の市民が殺害されたイラク北東部の町ハラブジャで、9日午前、広島、長崎の原 爆犠牲者追悼祈念式典がおこなわれた。式典では毒ガス攻撃の被害者を中心に、市民100名が出席、原爆の犠牲者への哀悼の意を表わすとともに、現在、世界 各地で起きている戦争が一日も早く解決するよう思いをひとつにした。(玉本英子)
ハラブジャはイラン国境に近いクルド人の町。イラク・イラン戦争の末期、反体制意識の強かったクルド人がイランに味方することを警戒したフセイン政権 は、戦闘機で町を攻撃し、 サリンなどの化学物資を搭載した爆弾を投下した。犠牲者のほとんどは子どもや老人を含む一般住民で、約5000人が死亡した。化学兵器攻撃を広島・長崎の 原爆投下と重ね合わせ、地元では度々、日本での原爆投下の日にあわせて追悼式典が開かれてきた。
今年の式典では、ハラブジャ化学兵器被害者協会の代表が、
「この町の住民はこれほどの被害を受けながらも、報復することはなかった。当時の毒ガス攻撃の責任者への処刑も支持しなかった。報復で新たな殺人者をつくってはならず、問題解決にもつながらないからだ」
と述べた。さらに、現在イラクで起きている、武装組織「イスラム国」による人権侵害などに関して、国際社会の支援や協力を要請した。
広島、長崎両市長からは、核兵器廃絶を訴えるとともに、ハラブジャの化学兵器被害者の健康を案ずるメッセージが届いた。
出席者のひとりで、両親や兄弟を含む家族10人を失ったヒクメット・ファイードさん(45)は電話インタビューに答え、
「多くの市民が殺されたこの町はヒロシマ、ナガサキと同じだ。大量破壊兵器は二度と使用されてはならない。同じ苦しみを経験した被害者として、それぞれが今後も平和構築のために力を注いでいけたら」
と話した。
8日、アメリカ軍はイラク北西部地域において、「イスラム国」拠点に対する限定空爆をおこなった。これについて、ヒクメットさんは、
「戦闘の激化を懸念する。市民が殺されないよう願うばかりだ」
と述べた。
【玉本英子】