iraq_yazidi_bannerX600_01特集は【14回にわたる連続2部構成】です:
◆第1部「ヤズディ(ヤジディ)の習俗、文化、迫害の歴史」(1~7)
◆第2部「イスラム国侵攻後のヤズディ居住地現地取材と女性拉致被害」(1~7)>>
【第1部】(1)
(本稿は「【第1部連載】ヤズディ(ヤジディ)の習俗、文化、迫害の歴史」)
ことし8月、イラク北部でイスラム武装組織「イスラム国」がヤズディ教徒(ヤジディ教徒)の町シンジャルを制圧した。殺戮や迫害が始まり、 数万もの住民が町を捨て逃げ出した。退路を閉ざされた住民は山に逃げ込んだが、包囲され、イスラム教への改宗を迫られた。山で孤立し、飢えや脱水状態で命 を落とすなか、アメリカ軍は、「人道上の措置」としてイラクへの限定空爆をおこなう事態となった。
アジアプレスでは、フセイン政権崩壊後、ヤズディ教徒の居住地域で広範囲にわたり現地取材を重ねてきた。イラクのヤズディ教とはどういう宗教か。どのよう な苦難にさらされてきたのか。これまでに記録したヤズディ教徒の姿を、7回にわたる写真特集で報告する。【報告:玉本英子】
(メディアでは「ヤジディ」と表記されていますが、本稿では本来の発音に近いヤズディとします)
第1回◆受け継がれてきたヤズディ教の共同体

伝統衣装をまとったヤズディ教徒の女性。ヤズディはクルド語を母語とするクルド人。イスラム教スンニ派が多数を占めるクルド人のなかでは少数だが、ヤズディのコミュニティーは受け継がれてきた。周辺のイスラム教徒やキリスト教徒と結婚することはない。 「ヤズディはヤズディのもとに生まれた者しかなれない」とされ、外部のものが入信できるわけではなく、布教を目指す宗教でもない。ゆえにヤズディのアイデンティティは自分の一族やコミュニティーと固く結ばれてきた。(シェハン・2005年)
伝統衣装をまとったヤズディ教徒の女性。ヤズディはクルド語を母語とするクルド人。イスラム教スンニ派が多数を占めるクルド人のなかでは少数だが、ヤズディのコミュニティーは受け継がれてきた。周辺のイスラム教徒やキリスト教徒と結婚することはない。 「ヤズディはヤズディのもとに生まれた者しかなれない」とされ、外部のものが入信できるわけではなく、布教を目指す宗教でもない。ゆえにヤズディのアイデンティティは自分の一族やコミュニティーと固く結ばれてきた。(シェハン・2005年)
ヤズディ教徒にとって重要なのがクッブと呼ばれる聖塔。三角錐の建物で、ヤズディの村や町には必ずある。内部には聖者や名士が祀られていて、聖墳としての役割も持つ。塔のまわりをとり囲むように墓石が並ぶ。(バシカ・2004年)
ヤズディ教徒にとって重要なのがクッブと呼ばれる聖塔。三角錐の建物で、ヤズディの村や町には必ずある。内部には聖者や名士が祀られていて、聖墳としての役割も持つ。塔のまわりをとり囲むように墓石が並ぶ。(バシカ・2004年)
年配女性はスカーフをかぶることが多いが、イスラム教のように戒律としては定められていない。若い女性はスカーフをしないのが一般的。(バシカ・2004年)
年配女性はスカーフをかぶることが多いが、イスラム教のように戒律としては定められていない。若い女性はスカーフをしないのが一般的。(バシカ・2004年)

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