<< 米国草の根ジャーナリズムの終焉  (1)

ヘラルド・ディスパッチ社
ヘラルド・ディスパッチ社

 

◇ 地方の小新聞社で仕事を始める
米国ウェスト・バージニア州、レイヴァンズウッドという街にジャクソン・スター・ニュース(The Jackson Star News)という名の新聞がある。日刊紙ではない。週に2回の発行で、部数はわずか5000部だ。前回も書いた通り、米国の新聞業界は地方紙で成り立って いる。それも、日本の様に各地で日刊紙が発行されていて基本的に均一な情報が共有されているというものではない。

アイ・アジア編集部)

週に2回しか刷られないニュースがその地域の最大の情報源ということもある。この新聞はまさにそうした地方紙の1つだ。地元のニュースで一面のすべてが埋まってしまう。そこに私は顔写真入りで紹介されたことがある。

「我が新聞社の新しい記者は、日本人学生!」

1992年の夏、私はインターンとしてジャクソン・スター紙で働くことになった。日本の大学を出て米国の大学院に入って2年目の夏だ。出社した初日、自分のことが同紙の一面に掲載されているのを見て度肝を抜かれた。履歴書と一緒に提出した顔写真が使われている。

「記事を書く前に、記事のネタになってしまった・・・」

最初に与えられた仕事は、最近町で流行っているウォーキング・エクササイズについてのレポート。さっそくその日の夕暮れ外に出て、食後の散歩に出て いるオジさんオバさんたちの話しを聞きにいくと、「君か、ジャパンから来たジャーナリストの卵は!」などと言われて異様に明るく迎えられた。

その朝の記事のおかげで、すでに私の存在は町中に知れ渡っていたのだ。もっともそうでもしておかないと、見知らぬアジア人が近所をうろついていると 警察への通報が相次いだのかもしれない。米国の田舎は驚くほど保守的だ。記事で告知したのは、それを見越した新聞社のスタッフの配慮だったのかもしれな い。ともかく私は、米国での最初のインターンシップを、そんな田舎町で経験した。
◇インターンからの就職が多い米新聞界

学生が自分の興味ある業界で実際に働いて、僅かだが給与をもらい、そして卒業に必要な単位を得る... これがインターンシップだ。アメリカの大学では普通に行われているプログラムだ。考えてみればこれほど合理的なシステムはない。クラスで学んだことを実践 できるし、実際に働いている人たちからアドバイスをもらえる。そして何よりも、自分がその仕事に適しているかどうかの判断が下せる。

もしあなたが米国にいて、希望する職種のインターンシップに就いて充実した時間を過ごしているのなら、就職活動も順調にいっていると考えてもいい。 就職に向けたネットワークづくりもそこで始まっているからだ。つまり、企業側は手間ひまかけてインターンに教育を施しながら、実は優秀な若手の人材を探し ているのだ。例えその職場で採用されなくても、他のところを強く推してくれる可能性は高い。

新聞業界も例外ではなく、記者や編集者として働きたければ、インターンシップを最低でもひとつやふたつ経験していなければならない。自分が関わった 記事をストックして作品集を作り、履歴書の推薦欄に現役の記者やエディターの名前を連ねることができて初めて採用の入り口に立てる。

経験と優れた作品例さえあれば誰でも記者になれるとも言える。試験も作文も一切なかった。 文法のテストや、撮影のテストを実施する新聞社もあるが、結果は参考にする程度であまり重要視されないと聞く。面接は有るが、顔合わせといった趣が強い。 「君は我が社で記者になって、何ができるか?」そう問われるだけだ。

ジャクソン・スター紙でのインターンの採用は、発行人との面接だけで決まった。夏のインターンを募集していた同紙をキャンパスから車で90分かけて 訪ねると、留学生が現れたことに驚いた様子だったが、面接に現れた発行人は私が持ち込んだ学生新聞の切り抜きと写真を気に入り、その場で採用を決めてし まった。普通、発行人が面接を行うことは無い。後から分かったことだが、彼は新聞経営だけでなく編集の隅々まで口を出す変わったタイプの発行人だった。
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