◆ほんとうは希望を見出したかった

その後、イラクは宗派抗争・内戦が激化し、この家族にも更なる悲劇が押し寄せますね。3年後の2006年にサクバンさんの弟が、2008年 にはサクバンさん本人が殺害されてしまいます。サクバンさんが殺害されたことについて、娘のファティマちゃんは「テロリストがやった」と答えています。映 画では他にも「テロリスト」という言葉が何度も出てきますね。

綿井:イラクでは10年前は「テロリスト」と言えば、アメリカとイスラエルを差していましたが、その後変わって いきました。基本的にイラクの場合、宗派抗争・対立といっても、もともと一般の人たちが、いがみ合っていたわけではありません。政治や政党の権力抗争の中 で、宗派の違いが利用され、市民の対立が煽られていった。この10年、無数の爆弾テロや銃撃・襲撃があったけど、実際に誰が、どんな組織がやったのか正確 に判明するケースは極めてまれでした。根拠もなく「スンニ派武装勢力の犯行とみられる」という伝えられ方が最も多かったでしょう。映画の中で、車爆弾テロ の現場近くに住んでいた女性がこう言います。「(これをやったのは)テロリストかもしれない、何かの敵か、もしかすると友人かもしれない」。いつ、誰が、 どういう理由で狙われるかわからない、そうした中で次々と人が殺されてきたわけです。

(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽
(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽

 

そういう意味で、前作『リトルバーズ イラク戦火の家族たち』(2005年公開)の中で、イラク人の米軍に対する怒りと憎しみが映画の中から見て取れる一方で、今回の作品の中では、誰かに対す る怒りや憎しみよりも、むしろ、なんでこんなことになってしまったのかという悲しみや当惑の方が多いように感じました。

綿井:2011年にアメリカ軍がイラクから撤退して今年で3年になります。アメリカ軍がいる間は、怒りやデモの 矛先はアメリカでしたが、それが目の前からいなくなった。もちろん根底にはアメリカへの怒りがあるんですが、10年もたつと、ほとんどのイラク人にとって は、いまの政治体制、特にシーア派のマリキ政権(当時)に対する怒りや、様々なイラク人武装組織や民兵組織への怒りの方が圧倒的に高まっていった。しか し、映画にも出てきますが、「政治家だけでなく自分たちにも責任はある、私たちが何も言わなかったからこんなことになってしまった」と語る人がいる。彼は 米軍キャンプに勤務していたときに銃撃され重傷を負います。彼は間違いなく被害者だけれども、加害者としての責任も感じている。この二重性の意識。これは たぶん今の日本にも通じる普遍的なメッセージだと思いました。自らの被害と加害性を認識する人はなかなかいない。今のこんな政治になったのは誰のせいなの か、しかし、その政治家たちを選んだのは誰なのか、という問いかけです。
彼のような静かな、しかし奥深い言葉っていうのは、自分自身に向けられているようにも感じる。今回会ったバグダッドの人の中で、「叫ぶ人」や「強い言葉」 を言う人があまりいなかったのです。声高に叫ぶんじゃなくて、小さい声だけれど、戦乱の歴史を考えさせる言葉。そういうものを伝えたいと思いました。

まさに10年間の戦乱の歴史を描いた今作品ですが、正直、主人公さえ命を落とすという救われないストーリーになっています。一本のドキュメンタリーの文脈の中で、何か希望を見出すような内容にしようとは思わなかったのですか?

綿井:イラクの希望を見出したかったんですけれど、イラクの現実がそうじゃなかったから、映画がそうならなかっ たというところです。去年イラクに行く前は、「戦乱を生き抜いた人たち」「自分がこれまで出会った人たち」で描こうと思っていたんですよ。前作はいろんな 激しいシーンがいっぱいありましたが、この10年間を生き抜いたイラク人のストーリーでなるべくやりたいと思っていました。写真アルバムにこれまで会った 人たちの写真を入れて持っていきました。「この人は知っていますか、この人は憶えていませんか」と写真を見せて歩いたんですが、思った以上に会えませんで した。この人は亡くなった、この人はもう移住した、難民になって逃れた、行方不明...。そして、一番会いたかったアリ・サクバンが死んでいた。そこで、 ドキュメンタリーとしては、修正せざるを得なくなったんです。亡くなった人たちと、その後に遺された人たちを描く。「失われた人生」と、「あり得たかもし れない人生」です。アリ・サクバンという主人公を描くことは変わらないんですが、亡くなってしまった彼のそれまでの言葉や表情から、イラク戦争を問い直 す。遺された家族、特に次々と息子や孫が戦争で死んでいった、年老いたあの両親の悲しみは本当につらいものです。戦乱によって崩壊した家族、これがイラク 戦争がもたらした結果です。

映画の中では、亡くなったアリ・サクバンさんの子どもたちの成長も描かれていますね。

綿井:生まれてくる子どもに希望を託すというのは、どこの国でも普通でしょう。2004年にサクバンに新しい娘 が生まれて、生活の中にちょっと希望が芽生えたんですが、逆にイラクの状況はその後から悪くなるんですね。さらに06年には弟も銃撃で死んでしまう。また 戦乱の日々が来て、そんな中でサクバン本人も命を落とす。結局、彼の描いた希望や願いは届かなかった。自らの人生も閉ざされ、時代は悪くなる一方。だけれ ども、彼は生前こう言っていた。「それでも日々は続いていく」。生き残ったアリの家族や子どもたちはこれからも生きていく。しかし、それだってまた、いつ どこかで何が起きるか分からないという不安もある。イラクのこの10年間は、そういう少し希望を抱いては、それが消えていった、壊されていった連続だっ た。いろんなイラク人が平和や自由を思い描いたのだけれども、結局それはほんの束の間の時間、あのチグリス川の上にしかないという、この映画のタイトルに も繋がっています。(おわり)

(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽
(C)ソネットエンタテインメント/綿井健陽

 

映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』 公式HP
綿井健陽(わたい・たけはる)映像ジャーナリスト/映画監督

1971年大阪府生まれ。日本大学芸術学部放送学科卒業後、97年からジャーナリスト活動を始める。
98年から「アジアプレス・インターナショナル」に参加、小型ビデオカメラで取材・撮影をする。
これまでに、スリランカ民族紛争、スーダン飢餓、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタン、イスラエルのレバノン攻撃などを取材。
イラク戦争では、2003年から2013年の間に、空爆下のバグダッドや陸上自衛隊が派遣されたサマワから、テレビ朝日系列「スーパーJチャンネル」「ニュースステーション」「報道ステーション」、TBS系列「筑紫哲也 NEWS23」などで映像報告・中継リポート。

2003年度「ボーン・上田記念国際記者賞」 特別賞。
2003年度「ギャラクシー賞」(報道活動部門)優秀賞。

≪ドキュメンタリー映画作品≫
・『Little Birds イラク 戦火の家族たち』2005ロカルノ国際映画祭・人権部門最優秀賞
・『311』(共同監督/森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治)

≪著書≫
「リトルバーズ 戦火のバグダッドから」(晶文社)他

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