原子力の安全性に警告を発してきた京都大学原子炉実験所の小出裕章さんが、10月、大阪市内にて「福島第一原発がもたらした社会状況と私たちの生き方~未来のためにできること」をテーマに講演を行った。【森山和彦、栗原佳子 新聞うずみ火】

京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは原子力の安全性に警告を発してきた。(2014年10月大阪市内にて撮影・樋口元義)
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは原子力の安全性に警告を発してきた。(2014年10月大阪市内にて撮影・樋口元義)

◆最低賃金で放射能と闘う、下請け労働者

小出:
2011年12月、当時の野田首相が「原発事故収束宣言」を出しました。「冗談を言わないでくれ」と私は思いました。事故は全く収束していませんし、1号機から3号機の溶けた炉心がどこにどんな状態であるか、今もわからない。現場に行くことができないからです。

これ以上、炉心が溶けてしまったら困るということで、3年半以上ひたすら水を入れ続けてきました。放射能で汚れた汚染水になるのは当たり前のこと。放射能汚染水がどんどん溢れてくるという状態になってしまいました。

いまこの瞬間も福島第一原発の敷地の中では、5000人とも6000人とも言われる労働者たちが、放射能が海へ流れたりしないよう食い止めるため働 いています。8次、9次、10次というような下請け関係で徐々にピンハネしていくため、手に渡るときは最低賃金にも満たないような状態で、社会的な底辺で 苦しんできた労働者が、被曝をしながら放射能と闘っています。

◆危険な燃料取り出し

小出:
4号機は定期検査中で、原子炉の中に燃料はありませんでした。しかし爆発が起き、使用済み燃料プールが、壊れた建屋の中に宙吊り状態になってしまいまし た。プールの底には、広島原爆1万4千発分もの放射性物質。これが噴き出せば東京すら住めなくなる。そう原発推進派も考えていたというぐらいの危険物で す。

去年11月から、プールの底から燃料を吊り出し、隣にある共用燃料プールに移す作業を始めました。約1年たってようやく8、9割まで移動できたと思 います。なんとか少しでも危険の少ないところに燃料を移せたとしましょう。でも、すでに大量の放射性物質が環境にばらまかれました。
その量は大気中だけで広島原爆168発分になります。

10万人を超える人たちがふるさとを奪われ流浪化し、その周辺にも広大な汚染地帯が広がっています。福島県の東半分を中心に、宮城県と茨城県の南 部・北部、さらに栃木県、群馬県の北半分、千葉県の北部、岩手県、新潟県、埼玉県、東京都の一部地域が、本当ならば放射線管理区域にしなければいけないよ うな汚染を受けました。赤子も含めて何百万人という人たちが捨てられてしまっています。

被曝に関する法律はたくさんありました。例えば1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をしてはならない、させてはならないという法律です。放射線管理 区域からモノを持ち出すときには1平方メートルあたり4万ベクレルを超えているものは、どんなものでも持ち出してはならないという法律もありました。

しかし、政府は一切反故にしています。 国、電力会社、あるいはマスコミを含め「被曝量が少なければ危険はない。安全安心」という宣伝をまき散らし ています。100ミリシーベルト以下なら大丈夫だと。それを支える学者すらいる状態。そんな学者は刑務所に入れなければいけないと思います。被曝は、微量 でも健康に被害があります。汚染地に残れば必ず健康被害を受けます。

でも逃げようとすれば、今度は生活が崩壊してしまう。避難すれば、生活や家庭が崩壊して、今度は心がつぶれてしまう。どちらをとるか。たくさんの人が毎日毎日、苦しみのなかにいるのです。

でも毎日毎日、恐怖のなかで暮らすことはできません。国は「逃げたければ勝手に逃ろ。補償はしない」といっています。自力で逃げられる人はほとんどいません。誰だってふるさとは大事だし、住み続けたい。何とか忘れたい。安全だと思いたい。

しかも国は安全を宣伝する。汚染地帯に住んでいる人が「汚染が心配」と口にすると、むしろ周りから嫌がられてしまうということになります。被害者同士が分断され、加害者は無傷のまま生き延びるという構造になってしまうのです。

広大な土地に降り積もったセシウム137は重さにするとわずか750グラムだそうです。私は福島によく行きますが、そのたびに「放射能が目に見えれ ばいいのに」と思います。放射能は五感で感じられません。感じられるほどの放射能があれば、人間なんて簡単に死んでしまうからです。
(つづく)【森山和彦、栗原佳子 新聞うずみ火】

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