●健康だった男性が、35歳の若さで死亡
ファン・サンギがそう考えるのには理由がある。裁判で争われたのは、5人の元従業員の白血病の発症を労災とするかどうかという点だった。ところが裁判所が労災と認めたのは、ファン・ユミと、同じ職場にいたイ・スギョンの2人についてのみ。
これは、ファン・サンギが前述のように、娘の生前から聴き取りなどをしていたことが功を奏したと思われる。しかし他の3人についての裁判所の判断は、「白血病と職場との因果関係を立証するには証拠が不十分」というものだった。
判決から6日後の8月27日。サムスン電子本社ビルの前で、大きな声を張り上げる数人の人々がいた。その中の一人の女性は、涙を流しながらこう声を振り絞っていた。
「判決にあなた方は満足でしょうが、私は胸が張り裂けそうです!」
サムスン電子の半導体工場で働く夫を白血病で亡くしたチョン・エジョンだった。先に紹介したファン・ユミと違って、夫には労災が認められなかったのだ。
チョンもかつてサムスン電子に勤務しており、夫とは同社で同僚として知り合った。職場結婚だった。
夫のファン・ミヌンの写真を見せてもらった。赤いTシャツを着て、テレビでサッカーのW杯を観戦している様子を撮ったものだ。男前のスポーツマンタイプに見える。
「夫は運動が好きで、病気一つしたことがありませんでした。それが急に体調を崩し、病院へ行ったら、白血病と診断されたんです。今も信じられません」
ファン・ミヌンはその後、骨髄移植の手術を受けたが死亡する。35歳の若さだった。
「サムスン電子は、私が(本社ビルの前で抗議の)声を上げると、すぐに警察を呼んで逮捕させるんです。すでに2回、逮捕されています。この前は、あ なた方(取材陣)がいたからそうはしませんでしたが、普段はもっと厳しいです。私も夫もサムソン電子で働く従業員だったのに、ですよ・・・。
だから私はサムスン電子の皆さんに尋ねたい。『それでもあなたたちは、グローバル企業の社員なのですか?』と」
チョン・エジョンは今、夫の忘れ形見である娘を育てながら強く生きようと決意している。「保育士として働きながら今後も裁判を闘い続けます」と語った。
(続く)
(この原稿は、「現代ビジネス」に掲載された記事を著者の承諾を得て転載したものです)
<<執筆者プロフィール>>
立岩陽一郎
NHK国際放送局記者
社会部などで調査報道に従事。2010年~2011年、米ワシントンDCにあるアメリカン大学に滞在し米国の調査報道について調査。
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