◇発がん性が認定された物質が使われていた
韓国のサムスン電子の半導体工場で働く従業員に白血病などの健康被害を訴えるケースがあいつでいる事件を追ったシリーズ。問題が顕在化するきっかけは若い女性産業医らの頑張りだった。彼女達は、「何かがおかしい」と巨大企業に闘いを挑んだ。(アイアジア)
サムスン電子本社の前には、黙って抗議の意思を示している女性もいた。隣で声を上げている前述のチョン・エジョンとは対照的だ。やはり敗訴した原告の一人で、名前をキム・ウンギョンという。
彼女は1991年から96年まで、主にサムスン電子のオンヤン工場で働いた。真面目な勤務ぶりが認められ、やがて現場の責任者も務めた。
ところが2005年、白血病を発症してしまう。今は抗がん剤治療を受けながら、教会でボランティア活動をしている。やはりサムスン電子で出会った夫は、同社を辞めて別の会社で働いている。
キム・ウンギョンは半導体工場で、ウェハーに載せる半導体のチップを作る仕事をしていた。
「チップの周辺に、虫の足みたいに細いものが何本か出ているでしょ。あれを折り曲げる仕事でした」
折り曲げた後に、必ず行う作業があった。洗浄である。目の前に置かれた容器に液体が入っており、それをティッシュペーパーにつけて、チップを何度も拭く。
「液体はすぐになくなります。だから、液体がたくさん入った大きなタンクのところに何度も補充に行かなければなりませんでした。水のように大量に使っていましたね」
キムは、その液体が何であるかを教えられていなかった。しかし、容器に「TC」と書かれていたのを覚えていた。
TC---トリクロロエチレンだ。WHOの付属機関で、化学物質の発がん性を認定している国際がん研究機関(IARC)が、「人に対する発がん性が認められる」(グループ1)と規定している物質だ。
そして、キムが発症した白血病は、血液のがんである。彼女はこう振り返る。
「使っていた液体がそういう化学物質だなんて、私はまったく知りませんでした。サムスン電子では、作業の後に研修のようなものがありましたが、化学 物質については何も説明がありませんでした。私は主任まで務めて、新しく入ってきた従業員に作業を教えていましたが、私でさえ知らないことを、その若い子 たちが知るはずもありません。彼女たちの健康が本当に心配です」
ソウル高等法院は判決で、彼女の使っていた液体がトリクロロエチレンであると認定はした。しかし、次に不可思議な判断を下す。
「トリクロロエチレンには発がん性が確認されていない」
としたのだ。なぜ、こんな事実と異なる判断となったのか。
調べてみると、どうやら時間の前後関係によるらしいということがわかってきた。IARCがトリクロロエチレンを「人に対しておそらく発がん性があ る」(グループ2A)と認定したのは2012年である(その後、今年になってグループ1に"昇格"した)。一審が始まった09年時点では、まだ発がん性が 強く認識されていなかった(とはいえ、2000年代初頭から、各種の調査でトリクロロエチレンの発がん性は指摘されていた)。二審であるソウル高等法院 は、一審で出された資料から判断した可能性が高い。
二審の判決が出た後、キム・ウンギョンは、トリクロロエチレンが発がん性の認められた化学物質であることを確認して、上告した。
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