◇ トイレ、水道も共同
平林さんはある被差別地区で生まれ育った。物心ついたとき、住まいはバラック小屋で、3畳と4畳半の2部屋に家族7人が暮らしていた。父親は日雇い労働者だったが、身体が弱く、母親の財布にはお金がない日が多かった。そんな日には、家族みんなが夕方には寝ていたという。
この地区では狭い路地に木造長屋が密集し、衛生面も劣悪な状態だった。トイレも水道も共同使用。近くの新港川が氾濫して共同トイレに流れ込み、あふれ出した尿が原因でコレラ菌の感染者を多数出したこともあった。
また、一家4人がアパートの一室、3畳の部屋で暮らしていて悲劇が起きた。2歳児が寝返りを打ったとき、隣に寝ていた乳児の上に覆いかぶさって窒息死させたのだ。
そんな劣悪な住環境を改善するために改良住宅が建設されたとき、平林さんは「これで雨の日でもトイレの中で傘をささなくてもええんや」と思ったという。
部落解放同盟兵庫県連合会では96年7月から、仮設住宅へ移った住民の安否確認を兼ねた実態調査を行った。知り合いを頼りに消息をたどる地道な調査 は半年かかった。160世帯の中で、60歳以上が55・7パーセントに上り、収入が年間240万円以下の世帯が8割を超えていた。さらに、家の中で孤立し ている実態も浮かび上がった。
平林さんは振り返る。
「近所の人から『どこから来たん?』と聞かれ、地区の名前を答えたら挨拶もされなくなったという人もいました。朝から酒を飲んでいる40歳代の男性は『何も夢も希望もない。楽しみもなく、酒を飲まないと時間が過ぎていかない』と話していたのが、印象的でした」
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