◆テヘラン南部の下町の声
ムーサヴィーのポスターばかりが目につくのは、私の家や職場が比較的テヘランの北部に位置しているからかもしれない。4年前の大統領選挙では、同じ テヘランでも北部は改革派、下町の南部は保守派と、支持層がくっきりと分かれていた。私は一度、テヘラン南部の下町へ足を運んでみることにした。
テヘラン中心部から地下鉄で南へおよそ20分。下町シャフレ・レイに着く。駅前で市バスに乗り込むと、ものの5分ほどでアブドル・アズィーム聖廟に着く。9世紀に生きたシーア派の聖人の廟で、シャフレ・レイの最も重要な施設である。
大理石の敷き詰められたアブドル・アズィーム聖廟の広大な境内を抜けると、周囲には古くからあるバザール地区が広がり、参拝者で賑わっている。
バザールを流してみると、あちこちで選挙ポスターが目についた。驚いたことに、下町の、しかもモスクの門前町という保守的な環境にもかかわらず、ムーサ ヴィーとアフマディネジャードのポスターの数は、ほぼ半々と言ってよかった。店に張られたポスターは、その候補者に対する店主の支持を表している。支持し ていなければ、ポスターを貼ることなど許可するはずがないからだ。
店の入り口にムーサヴィーのポスターをぐるりと貼り巡らせた生地屋の主人(41歳)に話を聞くと、やはりこの近辺のバザールでは、ムーサヴィーとアフマディネジャードの支持者は半々くらいだそうだ。彼に「ムーサヴィーに何を期待していますか」と聞いてみた。
「自由がほしい。表現の自由。この国では言えないことがいっぱいある。アフマディネジャードの時代になってから息苦しくなったよ。何がって、例えば、子供が出演するテレビ番組で、5歳以下の女の子にもヘジャーブを被らせるようにしたり。幼い子供に何が分かるっていうのさ」
テレホンカードやCDを売る小さな店の店主(30歳)は、店のガラス窓にムーサヴィーのポスターを貼らせている最中だった。
「ムーサヴィーが首相だった時代、いかに経済が安定していたか。アフマディネジャードの4年間で、失業率もインフレも悪くなるばかり。外貨備蓄も石油による収入も全部なくなったよ」
彼は、自由より経済をなんとか変えてほしいと言った。
アフマディネジャードの顔写真の大きな垂れ幕を掲げた食糧雑貨店の50代の店主は、店の写真を撮ることを快諾し、私の問いに答えて言った。
「アフマディネジャードは国の利益を守っている。日本や韓国はアメリカとの友好関係の中で発展したが、代わりに失ったものも多いだろう。アフマディネジャードは国の利益を守りながら、国を発展させてきた」
欧米の圧力や妨害をものともせず核開発を続けていることや、西側の有害な文化の流入を阻止し、固有の宗教的価値観を重視してきた現政権の姿を、こう表現することも出来るだろう。しかし、経済政策はどうなのか。
「そりゃ、問題がないとは言えないが、世界金融危機のせいで日本や欧米だって失業率はひどいものだろう?イランは世界金融危機の影響をほとんど受けなかったんだ」
金融危機の影響にあえぐ日本や欧米より、金融危機の影響がほとんどなかったイランの方が、失業率もインフレも恐ろしく高いという事実は、国営メディ アでは流されない。インターネットにも衛星放送にも接する機会のない人々は、心の底からアフマディネジャードを、穏やかな宗教的暮らしを守る庶民の味方、 イランの国益を守る勇敢な指導者だと信じている。同じようにムーサヴィーの支持者らの中にも、改革派であるハータミー政権下の8年間の限界を忘れ、彼が欧 米並みの自由と民主主義、そして経済的繁栄をもたらしてくれると夢見ている支持者は多い。
商業区域から外れると、もう選挙用ポスターは見かけない。繁華街でのアフマディネジャードとムーサヴィーの支持者の割合が半々だったとしても、ポス ターの貼られていない静まり返った下町の住宅街の、錆びた扉の向こうにいる人たちが、誰を支持しているのかは知りようもなかった。