フリージャーナリストの後藤健二さんが、シリアから国境を越えて、トルコ側に歩いて戻ってくる光景を、ここ数日間思い浮かべていた。疲れて、やせ細ったものの、精いっぱいの笑顔で応対する後藤さんの表情を、心待ちにしていた。
しかし、それとは正反対の「殺害」映像がネット上に公開され、崖から突き落とされたような気持ちだ。
後藤さんに初めて会ったのは、2001年の9・11同時多発テロ後のパキスタンとアフガニスタン取材だった。私が持っていた衛星電話で、「こっちは大丈夫だから、心配しないで」と、日本の家族に伝えていたことを覚えている。
後藤さんは、近年はシリア北部に何度も通って果敢に取材し、テレビのニュース番組などでリポートしていた。私は彼の映像を通じて、シリア北部で何が起きているのかを知ったと言っても過言ではない。
今から20年前、27歳の後藤さんの顔写真が掲載されたプロフィル記事がある。小型ビデオカメラを使って一人で取材・撮影をする「ビデオジャーナリ スト」たちの紹介特集だ。そこで後藤さんは、「動く絵で、自分の目で見たものを録(と)ってみたかった」と、映像取材を始めた動機を書いている(月刊「放 送批評」1995年1月号掲載)。
その後20年間、彼はこの初心を貫き通した人生だったのではないか。
日本人の報道関係者が取材中に殺害されたとき、日本のメディアでは一時的に大きく扱われる。
だが、実際にはそこで多くの地元の人たちが、一時的にではなく、恒常的に殺害されている。空爆・銃撃・爆弾・弾圧・処刑・拘束・拷問...ありとあらゆる暴力が、シリアで、イラクで、まん延している。そこでは当然、地元のメディア関係者も多数犠牲になっている。
イラク戦争開戦から10年目の2013年、バグダッドの街で、あるイラク人テレビカメラマンに話を聞いた。所属する映像通信社の中で、10年間に5人のイラク人スタッフが殺害されたという。
「私たちだけでなく、イラク市民の生活が死と隣り合わせだから」
同僚たちの死があっても、それで彼らが取材や撮影をやめることはない。
「なぜそんな危険なところに行くのか」という疑問を抱かれる人は多いだろう。「フリージャーナリスト」という肩書も、日本ではなかなか理解されにくい職業かもしれない。そのことは私もわかっている。
しかし、その動機や肩書は理解されなくても、映像や写真に映っている、危険なところで暮らさざるを得ない人たちのことは、知ってほしいと思っている。
04年にイラクでは、自衛隊撤退を要求するグループに香田証生さんが首を切られて殺害された。湯川遥菜さんに続いて、後藤健二さんも同じ殺害方法だった。日本人だけでなく、誰であっても、これ以上同じような死者は出したくない。
イラク戦争を支持し、自衛隊を派遣、その後も米国の軍事行動に歩調を合わせてきた日本。戦後70年の年に、この国に突き付けられたのは、過激派「イ スラム国」からの刃物だけではない。国際社会や戦乱の国に対して、日本が今後取るべき道は何なのか、その問いかけが突き付けられている。
綿井健陽 (ジャーナリスト、映画監督)
【この記事は共同通信から全国の加盟紙に配信(2015年2月2日)されたものです】