◆ 戦前の泉南調査を国が隠ぺいか
当時、日本国内の状況はどうだったのだろうか。
過去の知見について改めて調査し、2009年6月に『アスベスト禍はなぜ広がったのか』(中皮腫・じん肺・アスベストセンター編、日本評論社)を刊 行した早稲田大学理工学部の村山武彦教授らによれば、45歳の石綿工のじん肺が1928年4月に日本鉄道医協会の席上で発表されたのが最初の報告という。
「国の認識としては、1931年に内務省社会局の技師で医学博士だった人物が雑誌に石綿肺のことをかなり詳しく書いている。この時点でわかっていたはず」と村山教授は指摘する。
その記事は1930年のけい肺(シリカ(石英)の吸入で起こるじん肺)に関する初めての国際会議に触れ、アスベスト粉じんの吸入によるじん肺(石綿肺)の発生が確実と紹介していた。英国のミアウェザー報告なども詳述しているという。
1934年には、この技師らが同省の資料に同様の報告をしており、この段階で国が認識していたことに疑いはない。
「当時、海外の石綿肺の知見はかなり紹介されており、戦前においても専門家の間ではほぼリアルタイムに最新の知見が共有されていた」(村山教授)
旧内務省による泉南地域の調査はこうした知見の積み重ねの上にあるといえよう。実際、報告書にはミアウェザー報告などが引用されている。
実は厚労省による行政対応の検証でも、「石綿による健康障害としての石綿肺は、戦前からその危険性が認識されていた」と認めている。しかし、旧内務省調査については一切触れていない。
「当時から危険性を認識していたことが詳細にわたって明らかになると都合が悪いから外したのではないか」と原告側弁護団副団長の村松昭夫弁護士は指摘する。
厚労省化学物質対策課の長山隆志・化学物質情報管理官に確認したところ、「なぜ(旧内務省調査を)記述しなかったかはわからない。当時限られた時間の中で調べたので......」と回答する。
~つづく~
【井部正之】
※初出「アスベスト公害、行政・企業の"ウソ"を暴く(1)国が隠ぺいする戦前の泉南調査 2つのウソに透ける国の思惑」『日経エコロジー』2009年8月号を一部修正。なお、文中の年月や関係者の肩書きなどは発表当時のままである。