石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて振り返るととも に、残された問題について考察する。第三回目は、厚労省による隠ぺい工作疑惑について報告する。(井部正之)
◆ 20年の空白を隠ぺいか
石綿肺対策として国が規制をかけたのは1960年のじん肺法制定である。
過去のアスベスト対策の状況について、2005年に厚生労働省が公表した「検証」は、この規制にいたる流れをこう説明する。
〈昭和27年(1952年)から昭和31年(1956年)にかけて奈良県立医科大学の宝来善次教授を中心として行われた研究(労働省労働衛生試験研 究)においては、石綿を取り扱う事業場における勤務年数が長くなるほど石綿肺有所見者が増加するなど石綿肺と勤務の関係が明らかにされた〉
これを受けて、1958年には石綿肺の診断基準について検討する調査研究を委託し、1960年にじん肺法を制定して石綿作業の従事者に対するじん肺健康診断を義務づけたとしている。
1952~56年の調査によって、「石綿を取り扱う事業場における勤務年数が長くなるほど石綿肺有所見者が増加するなど石綿肺と勤務の関係が明らかにされた」というのだが、同様の結果は本連載第2回で詳述した戦前の旧内務省調査によって既に明らかだったはずである。
1940年に報告書が出された旧内務省調査は、大阪・泉南地域のアスベスト紡織工場で働く1000人以上の労働者の健康状態を調べたもので、国際的 にもかなり詳細かつ大規模な調査といわれている。その調査において、長く勤めるほど発症率が上昇することははっきり示されている。
しかも、厚労省が「検証」時に資料とした『職業性石綿ばく露と石綿関連疾患』(森永謙二編、三信図書)にも旧内務省調査は紹介されており、わからなかったはずがない。
やはりこの調査に触れると、20年にわたって対策をとらなかった不作為が明白となるため、隠したとしか考えられない。
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