◆ 侵略された村人たちの受難が伝わってくる
日本軍は作戦のために村々に居すわり、略奪し、破壊してゆきます。郷長に物見を命じられた「ぼく」が、夜ひそかに村に入って壁のすきまから室内をうかがうと、軍馬がありあまるほどの穀物をあてがわれて食っていました。
しかし、餌にされたその穀物は、農民たちの辛苦の結晶であり、かれらがいのちをつないでいくための糧なのです。
「兵禍の後には必ず飢饉がやって来る。......中略......。戦が永びくと、兵隊は村に永くおり、どこにかくしてあるものも皆さがし出して、根こ そぎ食ってしまう。奴らは、来年のための種まで食ってしまう。豚を根だやしにし、鶏の雛まで食ってしまう。牛を食う、馬を食う。そして犬を食う。そしてど こかへ行ってしまう。後には痩せこけたひょろひょろのぼくらと、こわされた廃屋が残っている。」(同上)
明け方、樹で入り口を隠した洞窟にもどり、あちこちの村を見渡すとき、「ぼく」は郷愁おさえがたく、「どの家にも、すやすやと百姓たちの寝息がきこえているような」気持ちになります。
やがて、家々からはかつてと同じように青い煙が立ちのぼります。「そこに百姓がやはりいるような気がして、あきらめきれない」と、「ぼく」はもだえるような気持ちになります。
しかし、それは敵兵の燃やす煙でしかなく、遠くから聞こえる村の鶏の声も日ごとに減っていくのでした。
村人たちが隠れた洞窟の中の闇は湿り、人いきれでむっとしています。煙が日本軍に見つからぬように、夜だけ焚き火で煮炊きし、赤子のおむつも火のまわりで乾かしています。人びとは闇に浸されてじっと横たわるしかありません。
穴籠もりも10日をこえ、薪も食糧も灯火用の桐油もだんだん乏しくなってきました。郷長らは不安と焦慮に駆られてゆくのでした......。
筆致はあくまで淡々として、平明です。しかし、そうであるがゆえになおさら、村人たちの奪われてしまった日常生活のかけがえのなさ、侵略軍による災厄に見舞われた人びとの受難と苦悩が、「ぼく」の目線と皮膚感覚を通して、等身大の現実味をおびて伝わってきます。
(続く)