東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から4年が過ぎた。地震や津波による死者は1万5000人を超え、行方不明者と、震災後のストレスや過労などで亡 くなった「震災関連死」を含めると、犠牲者は2万人を超える。今なお、福島県では放射能汚染によって12万人が避難生活を強いられており、自宅に戻る見通 しのないまま時間だけが経過している。原発再稼働の動きが進む中、福島県いわき市が主催する「スタディツアー」に参加し、市の沿岸部から「全町避難」が続 く富岡町を訪ねた。(新聞うずみ火/矢野 宏)
◆住民の帰還待つ‐久之浜地区
3月13日夜、大阪市内から高速バスで11時間かけていわき市へ。茨城県と境を接する人口34万人の中核市で、福島県内で最も広い。原発事故直後、 市北部の久之浜地区が福島第一原発から半径30キロ圏内に入り、「いわきも危ない」という噂が広がった。その後、県北部と比べていわき市の放射線量が比較 的低いことが判明したことから、低線量被ばくを恐れた県内各地の住民2万4000人がいわき市へと避難している。
いわき市では津波や原発事故の風評被害などの現状を知ってもらおうと、「復興・防災プログラム事業」として5つのコースで視察ツアーを行っている。 私が申し込んだ「久之浜・北コース」は、津波被害が大きかった市の沿岸部から全町避難が続く楢葉町、富岡町を視察するコース。午前10時半、JRいわき駅 前からツアー客30人が乗り込んだバスは国道6号を北上した。
久之浜地区は風光明媚な海岸線と天然の入り江を利用した漁港を持つ集落だったが、震災で海沿いの町が消えた。地震、津波とその直後に発生した火災で 41人が亡くなった。さらに、地区の一部が原発30キロ圏内に入っていたため、市から自主避難勧告が出され、ほぼ全住民が街を離れた。
「この地区の悲劇はそれだけにとどまりませんでした」
案内役である「いわき復興支援・観光案内所」の大和田邦洋さんが説明する。
「5番目の被害である盗難が多発したのです......」
筆者が初めてこの地を訪れたのは震災発生から2カ月後のこと。地区を埋め尽くしていたガレキは、1年後にはすべて撤去され、家の基礎部分だけが残っ た。今回3年ぶりに訪れると、海岸部で盛り土工事が進んでいた。震災時の津波を想定し、堤防から陸側に高さ8.2メートル、長さ1.7キロ、幅50メート ルの防災緑地を設け、津波被害の軽減を図るという。
住民の一人、阿部忠直さん(69)は、「ようやく復興に向けて一歩を踏み出しましたが、問題は住民が戻って来るかどうかです」と語っていた。
近くの小学校ではソフトボールクラブの児童たちがノックを受けていた。
「震災前、240人いた児童は176人に減っています。低線量被ばくを恐れ、ここから自主避難しているのです」
通学している児童の3割は、地区外からスクールバスを利用しているという。久之浜地区の復興にも原発事故が暗い影を落としている。
(続く)