イラク政府・マリキ政権への怒りからイスラム国(IS)に志願
◆もともと何の仕事をしていたのか?
アリ:モスル市内のコピーショップで働いていた。給料は月に40万ディナール(約4万円)。自分は中学しか卒業してないため、いい仕事を得るのは難しかった。昨年6月、ISがモスルを支配するようになり、店はつぶれた。それからは、ISのメンバーとして月に20万ディナール(約2万円)をもらって、妻と1歳半の息子を養った。モスルでは、野菜は周辺地域の農村地帯から安く手に入るのでなんとか食べていけた。
◆なぜISの戦闘員に?
アリ:いとこが(当時の)「イラクとシリアのイスラム国」のアミール(司令官の意)だった。それで私はマリキ軍(イラク治安部隊)に何度も捕まり、厳しい拷問を受けた。ビニール袋を頭にかぶせられ「アミールの居場所を教えろ」と窒息するまで何度も首を絞められた。天井から吊るされ、電気拷問も受けた。刑務所には3回入れられた。マリキ軍に恨みを持った私は昨年夏、ISに入ることにした。
アミールは刑務所に入れられた経験のある若者たちを探していた。刑務所に入った回数も調べ、マリキ軍に憎しみを持つ者を勧誘していた。貧しく、力のない者がISに入った。そうした者たちはみんな、自分が初めて大きな力を持つことができたと感じたようだった。アミールの下には戦闘員が50人ぐらいいた。自分もその一人だった。
◆ISのメンバーとして具体的に何をしていたのか?
アリ:最初、戦闘員が暮らす家で調理人として働いていた。米を炊いたり、スープを作ったり...。そこは、もともとキリスト教徒が多く暮らしていた地区だったが、彼らはすでに家を追い出されていた。その空き家を接収して戦闘員たちが住居にした。その後、空爆で家が破壊された。そして私は銃を与えられ、前線に行くようになった。持たされたのはカラシニコフ銃で、訓練を受ける機会はなかった。最初は使い方がわからず苦労した。一つの家に4,5人で住んで、戦闘があると前線に向かった。(続く)