石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて振り返るととも に、残された問題について考察する。第5回目からは「悪魔の判決」と酷評された2011年8月の大阪高裁判決(第1陣)について報告する。(井部正之)

2011年8月25日の大阪高裁による判決文。判決は計118ページに及ぶ
2011年8月25日の大阪高裁による判決文。判決は計118ページに及ぶ

 

◆ 高裁判決までに原告5人が死亡

〈とにかく いきがくるしいです
こんな体に なるとは思いもしませんでした
私がいきている間にかいけつしてください
其の日を まっています〉

大阪・泉南アスベスト訴訟の原告、原田モツさんは2011年4月6日、裁判長に宛てた手紙にそう書いた。

だが、4カ月後の8月25日、大阪高裁(三浦潤裁判長)は原田さんら原告の敗訴を言い渡した。

その日の早朝、原田モツさんは石綿肺に起因する心不全で亡くなった。

「命あるうちに全面解決を」との願いもむなしく、提訴後に亡くなった原告は原田さんですでに5人という。

国と使用者の「共同不法行為」として責任を認めた一審判決から一転して原告の逆転敗訴となった高裁判決は、「特異な判決」「人命を軽視した判決」などと専門家から批判が相次いだ。判決後の抗議集会では「悪魔に心を売った判決」とまで酷評された。

しかし、それほどまで批判される理由が十分に報じられているとはいい難い。この高裁判決がそれほど批判を浴びるのはなぜなのか。

まずは新聞報道された専門家の見解をみていこう。最初に紹介するのは立命館大学法科大学院の吉村良一教授(環境法)のコメントだ。

「筑豊じん肺訴訟や水俣病関西訴訟など近年の国民の健康被害をめぐる裁判では、行政の規制権限を厳格にとらえて被害者側の立場で判決を導く傾向が定 着しつつあった。しかし、今回の大阪高裁判決は工業技術や産業発展の重要性を踏まえ、行政の裁量権を広くとらえた。流れが逆行したようだ」(「朝日新聞」 2011年8月26日)

「ここ10年の流れと逆行し、特異な判決といえる。国が規制権限を行使しなかったことを限定的に捉え、行政の裁量権を強調し過ぎている。今の時代 に、経済発展に配慮して規制しないとする国の判断を適切としたことは問題だ。泉南のアスベストの実態もきちんと捉えていない。当時、事業者が健康を損なう 危険性を認識していたというのは机上の空論。被害の拡大、深刻化をもたらした原因から目をそらしている。裁判官が現場を見に行ったのはパフォーマンスだっ たのか」(「京都新聞」2011年8月26日)

リスク管理論が専門で『アスベスト禍はなぜ起こったのか』(中皮腫・じん肺・アスベストセンター編、2009年、日本評論社発行)の執筆者の1人でもある早稲田大学の村山武彦教授(当時)は過去の技術的知見を調査した経験から次のように指摘する。

「国は1950~60年代、既に石綿の危険性や対策方法について外国から知見を得ていたはずだ。判決は、そうした対策が技術的・経済的に困難だった と結論づけている。しかし実際には、対策指針を作ったり、補助金をつけるなどして、国が被害の拡大を防ぐことができたのは歴史的に明らかだ。経済のために はある程度の被害が出ても仕方ないという産業優先の考え方が底流にある判決だ。泉南以外にも石綿被害を巡る訴訟は各地で続いており、影響が出ないか懸念さ れる」(「毎日新聞」2011年8月26日)

このようにいずれの専門家も判決に批判的で、ほかの新聞報道などをみても好意的な論評は見当たらない。

唯一肯定的に捉えているのは「国の主張が認められた」とコメントした被告の厚生労働省だけである。

そもそも2010年5月の大阪地裁判決では原告のアスベスト被害について、〈国と事業者の共同不法行為〉と厳しく断じた。石綿工場の近隣被害と家族 曝露被害については棄却しており、全面勝訴というわけではないが、元労働者のアスベスト被害に対して国の一義的な責任を初めて認めた画期的な判決だった。

ところが、高裁判決では一審での認定内容を全面的に取り消し、国の対応が「著しく合理性を欠くものと認められない」と原告の訴えを退けた。

原告側弁護団によれば、地裁判決段階で明らかになっていなかった新しい事実が次々と見つかった結果、その判断が覆されたわけではないという。
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