当初国側はアスベストの危険性を戦前においては国側でも十分に把握していたわけではないと主張していたが、裁判が続くにつれ認めざるを得なくなり、地裁判決では国側が危険性を認識していながら十分に対策を取らなかったと断じられた。

ところが、高裁判決ではいつの間にか国が危険性を知っていたことが事業者や労働者も知っていたことに拡大解釈されている。

しかし、村松弁護士が指摘したように、新聞記事が出ただけで労働者にアスベストの危険性が知れ渡っていたというのは無理がある。アスベスト振興会による申し合わせにしても、どの程度の実態があったかなどまったく不明だ。

原告側が最高裁に提出した準備書面にはこのあたりが詳述されている。行政側にばかりアスベストの危険性の情報が偏在していた実態や、労働者の間でア スベストについての危険性についての知識がいかになかったのか、たとえば90年代になっても「我々は石綿に耐性がある」と話す労働者がいたことなど、具体 的な事例がさまざま紹介されている。強引に事業者や労働者に責任を転嫁したとの指摘は当然だろう。

ちなみにこの部分の判決のおかしさは、解体現場などでアスベスト建材の撤去時に防じんマスクどころかガーゼマスクすら着用せずに作業していることがめずらしくない現在の状況からも断言できる。

現場の作業員と話すとアスベスト被害が多数出ている事実すら知らないことに驚かされることもしばしばだ。現場の労働者に対して十分な労働安全教育がされていないのはいまにいたっても変わらない。

多数のアスベスト被害が明らかになり、洪水のようにアスベストについての危険性が報じられた2005年以降においてもそうなのだ。

ましてや戦前や戦後間もない時期に新聞にちょっと記事が出た程度で労働者にそれが知れ渡っていたとの判断は異常というほかない
(続く)

※拙稿「「悪魔の判決」と批判される泉南アスベスト訴訟高裁判決の本当の意味【上】」『ECOJAPAN』日経BP社、2011年12月16日掲載を一部修正

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