2014年10月、「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて 振り返るとともに、残された問題について考察する。今回は「悪魔の判決」と酷評されたの2011年8月の大阪高裁判決(第1陣)についてさらに深く見てい く。(井部正之)
村松弁護士は今回の判決が「結論ありき」だと批判する。
「一番大きいところはなんといっても(国の責任を回避して)労働者や使用者に責任をもっていかないといけないから、石綿の危険性は労働者や使用者の 間で共通認識になっていたとしたことです。当時アスベストについて新聞記事が1つ2つ出た。だから国が(危険性の情報を)隠しているわけじゃないとか、昭 和20年代から国がアスベストの危険性をわかっていたことを労働者も知り得たとか。さらには(泉南地域の石綿業界団体)アスベスト振興会が局所排気装置の 設置や防じんマスクを着用させる申し合わせをしたとか、国もろくにいってないことを出してきた。
申し合わせしたからといって、それが徹底されるかどうかとかいろいろ問題はある。そこを吟味しないで、証拠の中から都合のいい事実をあらって、ピッ クアップしたということをかなりやっている。これなんか(アスベスト振興会の申し合わせ)、証拠では出ているんだけど、国も主張してないし、こっちも言っ てない。そういう国に都合のよいものをわざわざ探してきている」
当たり前の話だが、裁判では原告と被告のお互いの主張に対して裁判官が事実関係や妥当性を判断する。当事者が主張すらしていないことをわざわざ事実認定し、それを根拠に中心的な争点の判断をするというのはきわめて異例である。
たとえば(3)の国による情報提供の不十分さをめぐる争点で、大阪高裁が〈戦前においてすでに、石綿取扱作業に従事する労働者には石綿粉じんに起因するものと考えられる肺疾患の生じるところが知られていた〉との考え方を打ち出したことだ。
その理由は当時石綿肺の発症者が増加しているとの新聞記事があったこと、泉南地域の業界団体、アスベスト振興会が石綿肺防止のため、〈局所排気装置 による粉じん対策の実行及び労働者に対する防じんマスクの着用指導について申し合わせがなされるなどしていた〉こと、労働基準監督署による行政指導があっ たことなどである。
そこから高裁判決は〈個々の労働者及びその使用者である事業者が、石綿粉塵のばく露についての警戒心あるいは危機感を具体的にどの程度抱いていたか どうかは別として、石綿粉じんの有害性に関する情報及び長年にわたり石綿関連作業に従事したことによって重篤な石綿肺を発症した労働者が現実に存在すると いう客観的事実についての認識が全くなかったものとは到底考えられない〉と結論づけた。
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