◆歴史の奈落に埋もれていった死者たちの無念の思い
そのような戦地の現実のなかで、作者の富士正晴はどのような眼で中国人たちを見つめていたのでしょうか。
戦争体験に材をとった別の作品の中で、作者自身を模した主人公の「戦地生活信条」がこう述べられています。
「戦時強姦はしない。悲しいにつけ、辛いにつけ、苦しいにつけ、よく食う。嬉しいにつけ(こんなことは万々あるまい)よく食う。」(『帝国軍隊に於ける学習・序』)
このことから、作者は戦地の住民たちとの関わりにおいて、彼自身にとっての一人間としての節度を自らに課したと察せられます。
しかし、軍隊では一歯車でしかない作者は、戦友らの戦時強姦を止められなかったでしょうし、部隊が略奪した穀物や家畜などもやはり食べていたでしょう。
中国人たちの受難に心ひそかに痛みを覚える時もあったでしょうが、戦場の酷たらしい現実を前に心の痛点を麻痺させることもあったでしょう。
そして戦争が終わり、心深く傷痕が残ったのでした。物語の底に流れる、中国の農民たちの生と死に寄せる翳り濃い感慨もそこに因っています。
むろん、どこまで行ってもかれらは異郷の他者でしかなく、その消えようのない痛苦を心底から理解することはできない、という諦観も作者にはあります。
また、このような現実は世界のどこにでも起こり得るし、事実、起こりつづけてきたという、人間の歴史への醒めた認識も垣間見えます。
もしも立場が入れ替われば、自分だって不意にこのような死を遂げることもありうるのだ、という視点もうかがえます。
しかしそれでも、可能な限り、歴史の奈落に埋もれていった死者たちの無念の思いをそっと酌み取ろうとしました。また、そうせざるをえなかったのでした。
自らの胸の内にうがたれた「洞窟」の中の「満月」を、富士正晴は最後まで見ることをやめなかったはずです。
戦争とはどういうものなのか。
私たち一人ひとりが想像し、考えてゆくときの、鍵となるものが戦争文学のなかに見いだせます。
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