シリアで最も激しい戦闘が行われていたコバニ(アラブ名アインアルアラブ)。2014年12月に現地入りした時、イスラム国(IS)によって包囲された街 を死守するため、地元のクルド人は激しく抵抗していた。破壊しつくされたコバニにわずかに残った住民たちは、電気も水も食料も足りない厳しい耐乏生活を強 いられていた。(玉本英子)

町には電気や水はなく、シャワーをあびるのも難しい。ジョウロに汲んだわずかな水でコップを洗っていた(アレッポ県コバニ2014年12月下旬撮影)
町には電気や水はなく、シャワーをあびるのも難しい。ジョウロに汲んだわずかな水でコップを洗っていた(アレッポ県コバニ2014年12月下旬撮影)

 

◆20万人が脱出、残る住民は2000人
2014年1月にコバニを取材したときは、近郊の農村地域で衝突が続いていたものの、町には商店や学校もあり、人びとの生活があった。だが、昨秋の侵攻で周辺地域を含め約20万人が隣国トルコなどに脱出した。

前線から少し離れた地区に暮らす主婦ジャリラ・ハミッドさん(28)は、夫と6人の子どもとともにコバニにとどまっている。故郷を離れたくないという思いがあるからだ。

家の窓は防弾のためコンクリートブロックで塞がれていた。電気も水も止まったなか、1日に2時間発電機を動かし、ポンプで井戸の水をくみ上げる。

食料や発電機の燃料はYPGが配給してくれるが、台所にはパンとわずかなチーズ、缶詰しかなかった。町には今も約2千人がとどまっているが、どこに砲弾が落ちて来るかわからない。

3日前には、近所の子どもと大人2人が命を落とした。 町はイスラム国にほとんど包囲され、北側のトルコだけが逃げ道だ。「トルコに行っても物価は高く、厳しい避難生活がある。ここにとどまるべきかどうか・・・」。ジャリラさんは顔を曇らせた。

町の商店や学校は閉鎖されたまま。子どもたちは「学校にいきたい」と話した(アレッポ県コバニ2014年12月下旬撮影)
町の商店や学校は閉鎖されたまま。子どもたちは「学校にいきたい」と話した(アレッポ県コバニ2014年12月下旬撮影)

 

クルド人勢力が抵抗を続けるコバニに、イスラム国は精鋭部隊を送り込んでいたといわれる。イスラム国は、これまでのイスラム武装組織とは異質である。敵対 する相手は容赦せず打ちのめす。ネットを使い、巧みな宣伝映像で外国人を募り、戦闘現場に送り込む。バグダディ師をカリフとしたイスラム国家建設を掲げ、 支配地域で行政運営を進める。そうやってシリアやイラクで次々と支配地を拡大してきた。

シリアが内戦に陥ってから4年目を迎えた。国際社会も解決の糸口を探れないまま、20万以上の命が失われ、600万を超える人びとが家を追われた。 イスラム国の台頭と、米軍などの空爆。事態はより悪い方向へと進んでいる。「元のシリアはもう戻ってこない。明日がどうなるのかもわからない」。コバニに 残る老人はそう言った。(了)

(初出:1月末に共同通信から全国の加盟紙に配信)

<シリア>「イスラム国」に包囲された町をゆく(上) 砲撃絶えず、女性も銃を手に前線へ

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