ときおりズドーンと轟音をあげて砲弾が撃ち込まれ、地面が大きく揺れる。銃撃は絶え間なく続く。2014年12月、イスラム国(IS)が包囲戦を行っていたシリア北部のコバニ(アラブ名アインアルアラブ)。シリアで最も激しい戦闘が続いていた街入った。(玉本英子)
◆ 一面にがれき。
2014年9月、イスラム国はこれまで包囲を続けていたコバニへの進撃を開始、3キロ平方ほどの小さな町に攻め入った。防衛していたクルド組織「人民防衛 隊」(YPG)は強力な火砲の前に後退、コバニの4割近くが制圧された。米軍など有志連合の戦闘機がイスラム国拠点を空爆するなか、地上での激しい攻防が 続く。
12月、防弾チョッキを着て、YPG戦闘員とともに激戦地区を進んだ。空爆と砲撃で建物は崩れ、一面にがれきが広がる。イスラム国の陣地から数百メートルの距離まで近づくと「パーン、パーン」と乾いた銃声が響いた。イスラム国の狙撃手は動くものすべてを撃ってくるという。
弾が当たらないことを祈りながら路地をひたすら走った。YPGの兵員の半数近くが女性だ。前線にも多くの女性戦闘員がいた。20代の戦闘員ゾザンは 学生だったが、内戦になり、町を守るため志願した。壁に開けた直径30センチほどの穴にカラシニコフ銃を差し込み、敵の動きを追う。
「イスラム国はあらゆる方角から撃ってくる。チェチェンなどからの外国人の部隊が手ごわい」と話す。
YPGはこの3か月で250人以上の仲間を失った。「この戦いに負けると、人々が帰って来られなくなる。銃を手に取るしかない」。(つづく)
(初出:1月末に共同通信から全国の加盟紙に配信)
<シリア>「イスラム国」に包囲された町をゆく(下) コバニに残る住民、厳しい耐乏生活