北朝鮮で粛清の嵐が止まらない。5月13日に韓国国情院が公開した人民武力部長の玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)の処刑情報は世界を驚かせた。だが、金正恩 氏による高官粛清が本格化するのは、言うまでもなく2013年12月の張成沢氏の処刑からであった。張氏が殺された時、当局はどう動いたのか?民衆は、若 い指導者による「叔父殺し」をどのように受け取ったのだろうか?張成沢が粛清された直後から、アジアプレスの北朝鮮国内の取材パートナーたちからは続々と 関連情報と感想が寄せられた。粛清事件は本人の処刑で終了したわけではなかった。側近、系列とみなされた人たち、親類縁者などに対する追加の調査や、処 刑、連行、追放などの連座処罰が長期に渡って続いていたのである。現在に至るも余波が続く張成沢粛清事件。北朝鮮社会はどんな空気に包まれていたのか? (取材 ミンドルゥレ 整理 石丸次郎=リムジンガン編集部)
「粛清の嵐」吹かせる金正恩. 記事一覧

手錠をかけられ軍事法廷に引きずり出された張成沢。(2013年12月「労働新聞」より引用)
手錠をかけられ軍事法廷に引きずり出された張成沢。(2013年12月「労働新聞」より引用)

◆大々的な反張成沢キャンペーン

金正日亡き後の北朝鮮最大の実力者が張成沢(チャン・ソンテク)であったことには、誰も異論がなかったはずである。金正日の実妹・金慶姫(キム ギョンヒ)の夫であり、70年代から労働党中枢で仕事をし、中国はじめ諸外国中枢とのパイプも太かった。また若い金正恩を傍で補佐していると見られてい た。

だからこそ、2013年12月に張成沢が粛清されたことは世界中を驚かせたのである。粛清直後、電話で北朝鮮内部の様子を知らせてくる北朝鮮のパートナーたちの声は、時に憤懣で上ずり、時に恐怖でヒソヒソとか細かった。

13年12月9日に張成沢粛清が報じられた直後から、人民班(末端の行政組織で隣組のようなもの)や職場では、たびたび集会が持たれ、当局は住民た ちに対して「張がいかに悪い奴か」を宣伝していた。不正、腐敗、横領、女性関係や麻薬使用などの放蕩、分派を作って国家転覆を陰謀していたなどが、その内 容である。

特に、張が失政や横領で国家に莫大な損失を与えたため人民生活が悪化したという宣伝が繰り返されていた。各地で国家安全保衛部(情報機関)が主催する講演がたびたび行われた。

「張成沢がわれわれを売り飛ばした」
「張成沢のせいで貧しくなったのだ」
と講師の保衛部幹部がまくしたてたという報告が、取材パートナーたちからいくつもあった。

また、全住民と機関、企業所を対象に張成沢との関わりを清算させるための作業が迅速に行われた。まず、少しでも張成沢と接触のあった人間は、経緯を全て書いて提出することが命じられた。

「全国民が『自白書』を書いて提出させられました。張の何が悪かったと思うのか、自分はしっかり党の領導に従って活動してきたのか、自己批判を書けというわけです」(両江道の協力者)。

張成沢は地方にも拠点とする組織(党行政部や「54局」と呼ばれる軍傘下の経済体など)を持ち、当然、関連する企業所も数多くあったと思われる。こ れらの機関、企業所では、組織として張成沢とどのような関係にあったのかを、やはり「自白書」として報告することが命じられたという。

また、かつて地方視察に訪れた張成沢と撮った写真の提出が命じられた。張成沢という人物が存在した痕跡自体を消してしまおうという徹底ぶりであった。
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