◆連座して3000人を追放
連座して粛清、追放される人が続出した。
平壌に住む協力者から13年末に届いた知らせでは、近くの張系の党高級幹部の自宅アパートに保衛部の家宅捜査が入り、当人はその場で飛び降りて自殺、家族はそのまま連れて行かれてそれきりだという。
両江道の恵山(ヘサン)市の党のある高級幹部は、連日張成沢との関連について調査を受けていたが、12月中旬に通勤途中に行方不明になった。
「家族が必死になって探していたが、同僚に聞いても、警察に行っても、口を濁して誰もはっきりしたことを言ってくれないと嘆いていた」(恵山の協力者)。
第三の都市・清津(チョンジン)市の協力者からも、ショッキングな電話連絡があった。張系列の軍部傘下の「54局」と呼ばれる外貨稼ぎ機関の、水産物事業所の幹部軍人数人が銃殺になったという。
14年1月に、両江道の行政職員である取材協力者に調べてもらったところ、張派とみなされた人たち約3000人が、平壌など全国から両江道の白岩(ペグアム)郡などの山間僻地に追放されて来たという。
また彼によると、一月になって平壌の労働党中央から、高級幹部名簿から削除される者のリストが送られてきたとして次のように述べた。
「張成沢関連者として粛清された者の名を削除するためのリストが地方党組織に送られてきた。その中に行政部の課長チェ・ビョンヒという名があった。知り合いの党幹部から『彼は銃殺・粛清された』と説明を受けた」。
中央党で人事の変更があった場合、地方の党組織にも連絡が行くが、「削除名簿」は人事異動に伴うものではなく、いわば「粛清者リスト」なのだという。
党行政部は張成沢が部長を務めており、課長だったチェがいつ処刑されたのかは不明だが、張成沢の息がかかった行政部人脈を一掃する粛清人事のひとつだったと思われる。なお、各道の労働党組織に置かれていた行政部は、張成沢粛清の後に解体された。
これは真偽の確認のしようがないのだが、張本人の処刑には、銃ではなく迫撃砲が使われ、細切れになった遺体は火炎放射器で焼かれたという噂が、広く住民の間で流布され信じられていた。(続く)
(張成沢粛清については、「北朝鮮内部からの通信・リムジンガン」7号で大特集を組んだので参考にされたい)。
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