昨年8月に起きた武装組織「イスラム国」(IS)によるヤズディ教徒(ヤジディ教徒)への襲撃。イラク北西部シンジャル一帯のヤズディ住民 は殺戮にさらされた。イスラム教への改宗を拒否した男たちは殺害、女性と子どもたちは集団で拉致された。女性は「奴隷」として強制結婚させられ、一部の少 年たちは、軍事訓練所に送られた。シリア・ラッカの訓練所に5か月間入れられ、命がけで脱出してきたばかりの14歳の少年ダハム君(仮名)にイラク北部で話を 聞いた。【玉本英子・2015年4月】(全3回)
イラク・シンジャルの村で拉致され、シリアに強制移送
◆昨年8月、村が襲撃されたとき、何が起きたのか?
ダハム:夜、村にたくさんの車が入ってきた。そこには戦闘員たちが乗っていた。銃を持っていた村の自警団と撃ちあいになったけど、弾が尽きて包囲されてしまった。僕の兄さんが逃げようと車を出したとき、ISの戦闘員に撃たれて殺された。僕の目の前で兄さんが死んだ。
戦闘員は、村人たちを集めて、男、女と子どもの2つのグループに分けた。その時にお父さんと引き離されて、行方は今も分らない。僕はお母さん、弟と一緒にミニバスに乗せられ、いくつかの場所を転々として、モスルに連れていかれた。モスルでは結婚式場のホールに監禁された。戦闘員は、若い未婚女性、子どもを連れた母親に分けた。そして若い女性たちをまず連れ出していった。僕は弟とお母さんと一緒に別の町へ移された。最後に着いたのがシリアのラッカだった。
ラッカでは、アラブ人の男が、お母さんと弟、僕を買ったということだった。でもすぐに、他の男に転売された。僕たちは男の家から逃げようとしたが、 見つかり、一週間監獄へ入れられた。お母さんは男の家に監禁され、僕と弟はラッカのファルーク軍事訓練所に入れられた。そこで5か月あまりをすごした。
◆訓練所での共同生活は?
ダハム:軍事訓練所にいた128人の男の子は10歳から16歳までで、全員イラクで拉致されたヤズディだった。教官のひとりはウズ べキスタン人でアブドゥルラハマンと名乗った。暴力をふるう人ではなかったが、とても怖かった。「ヤズディは悪い奴らだ」といつも口汚い言葉で言われ、憎 しみの気持ちでいっぱいになった。
食事はなんとか食べられた。夜は大きな部屋にマットを敷いて、子どもたちみんなで寝た。どの子も家族を思い出して泣いていた。夜は厳しい監視もな かったので、小さな声だけど自由に話せた。「いつかきっと神さまが助けてくれて、なんとか生きて抜け出せるようにしてくれるはず」と友達どうしでいつも励ましあっていた。(つづく)
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