イラク北西部の村で武装組織「イスラム国」(IS)に拉致され、少年軍事訓練所に入れられたヤズディ少年ダハム君(仮名14)は、母と弟とともに命がけで国境を超え、トルコへ脱出した。だが、今も多くのヤズディの少年たちが、シリア・ラッカの訓練所にいる。少年と母親が無事に脱出できたのはまれなケースだ。絶望して自殺したり、逃げようとして捕まったヤズディ女性も少なくない。
米軍など有志連合はIS支配地域に空爆を続けているが、その標的になっているのは戦闘員だけではなく、こうした拉致された子どもたちもいる。さらにISは子どもを「人間の盾」に利用しようとしている。ヤズディ教徒の集団殺戮と拉致からまもなく1年。今も多くの人びとが苦しみに直面している。【玉本英子】(全3回)
◆どうやって逃げたのか?
ダハム: お母さんは戦闘員の男の家で働かされていた。4か月が過ぎて僕たちを信用したのか、訓練所の近くにあったお母さんが住まわされた男の家に行って、お母さんと会うことが許されるようになった。その時は教官に許可を出してもらった。弟がお母さんに会いに行ったとき、僕は脱出を決意した。
夜中、僕は訓練所を抜け出した。そして母さんと弟のいる家に向かった。男は不在で家に鍵がかけられていたので、鍵を壊して2人を連れ出した。家にあった男のお金を持ち出して、タクシーに乗った。もうダメかもしれないと何度も思った。検問はあったけど、黒いベール姿のお母さんと子ども2人の姿はそれほど怪しまれなかったのかもしれない。
なんとかトルコ国境近くの村にたどりつき、僕は知らない民家に逃げ込んで助けを求めた。その家のアラブ人の女性はとてもいい人で、イラクにいる叔父さんと連絡を取ってくれた。叔父さんの指定するトルコ国境近くの場所まで行った。でもそこはISの支配地域だし、国境の先にはトルコ軍もいる。叔父さんは国境の密輸業者に話しをつけてくれたけど警備が厳しく、国境を越える場所まで行ってはあきらめることを何度も繰り返した。でも最後に弟もお母さんも一緒にシリアを出ることができた。
僕は脱出できたけど、訓練所には今も友達が残っていて、戦うことを教えられている。彼らのことが心配。神様が許すならISに仕返しをしてやりたい気持ちもある。まだ捕まったままの親戚のお姉さんや、他の女の子たちをなんとか助けてほしい。
今、イラク北部クルド地域の叔父さんの家に身を寄せている。叔父さんも家をなくした。親戚も殺されたし、お父さんの行方は分からない。僕は14歳だけど、ここで避難民のためにつくられた近くの小学校に6年生として通い始めた。生活が大変なので、早く働いて家族を支えなければと思う。将来は手に職をつけた技術者になりたい。
あの人たちは人間じゃない。彼らはイスラムというけど、それは名ばかりでただの人殺しだ。僕の家族も村もめちゃくちゃになった。どうして外国からあんな組織にたくさん人が入ってくるのか。彼らが言ったりしていることを、信じたり聞かないでほしい。
次のページで動画を見る…