◆ 中身は大阪市解体
茶髪にサングラスの弁護士。コメンテーターとしてテレビ各局に引っ張りだこだった橋下氏は08年1月、38歳で大阪府知事に初当選した。10年1 月、大阪府と市との水道事業統合が決裂、橋下氏は「二重行政の解消」などを掲げ「大阪都構想」を打ち上げる。4月には地域政党「大阪維新の会」を旗揚げ、 代表になった。
大阪維新の会は11年4月の統一地方選で府・市議会ともに躍進。維新旋風に乗り、橋下氏は知事を任期途中で辞任して大阪市長選に鞍替え出馬。11年 11月、再選を目指す現職の平松邦夫氏を破り市長に初当選した。このとき知事に当選したのが府議だった大阪維新の会幹事長の松井一郎氏だ。
大阪維新の会が打ち出した「都構想」は当初、大阪市を8分割、同じ政令市の堺市を3分割、さらに周辺の松原市、八尾市、東大阪市、大東市、門真市、 守口市、摂津市、吹田市、豊中市という周辺の市を全て含めたものだった。ところが構想は大幅な縮小を余儀なくされる。堺市の〝反乱〟だ。13年9月の堺市 長選で竹山修身氏が、維新候補を破って再選。堺市が参加を拒否したことで、「都構想」といいながら、「大阪市を解体する」だけの内容になったのだ。
「都構想」の制度設計を話し合うため同年2月に設置された「法定協議会」は、維新と他会派の対立が先鋭化、開催もできない状態に陥った。そんな中、 橋下氏は奇策に打って出る。「都構想の設計図にあたる協定書を法定協で作らせてほしい」などと訴え、昨年3月、出直し市長選に出馬し、当選した。同年7 月、維新は単独で法定協を開き、「特別区設置協定書案」=「都構想」案を作成する。ところが協定書案は同年10月の府・市両議会で否決された。「都構想」 は頓挫したのだった。
ところが、年末に事態は急転する。公明党が「住民投票を行うことについては賛成」と方針転換したのだ。その直前の衆院選で、国政政党「維新の党」が大阪で勢いを増したことが背景にあるとされる。
そして今年1月の法定協で、一度葬り去られたものとほぼ同じ協定書案が承認される。3月の府・市議会で可決。わずか2カ月後の5月17日に住民投票 という日程が示された。しかも住民投票といっても今回は最終決定手段。投票率に関係なく、賛成多数なら大阪市の廃止が決まってしまう。事の重大さにどれだ けの市民が気づいていただろうか。(続く)