「アルカイダ系武装組織で戦った2人の兄、米軍とイラク軍に殺されIS志願」
前回の元戦闘員アリ・ハラフのインタビューでは、貧困と恨みから武装組織「イスラム国」(IS)に参加した青年を取り上げた。今回は、別の戦闘員とのインタビューを掲載する。分隊長として部下を持つ地位にあったが、今年初め、クルド部隊ペシュメルガと戦闘中に拘束された。モハメッド・イブラヒム(30)は、スンニ派イスラム教徒。イラク第2の都市モスルが昨年6月、ISによって制圧されると、自らISに入隊を志願、戦闘員となった。イラク・クルディスタン地域の治安当局の施設で、手錠姿のイブラヒムは、終始、落ち着いた様子で、淡々とした口調で、ISに加わったことへの思いを話し続けた。彼は拘束されてもなお、ISを強く信奉していた。【取材:4月下旬・玉本英子】
◆なぜISに入ったのか?
モハメッド:自分はモスル郊外の村の出身だ。昨年6月、ISがモスルを制圧したとき、彼らの考え方に共鳴した。私は、自らISの事務所へ行った。私には2人兄がいて、アルカイダ系組織に所属していた。二人とも米軍とイラク軍に殺された。どちらも絶対に許さない、とずっと思っていた。残された自分はISへ入ることを決めた。
彼らの事務所へ行き、「一緒に働きたい」と言うと、受け入れてくれた。すぐに自動小銃を与えられた。銃はすでに持っていたし、扱い方は知っていたので、とくに訓練をする必要はなかった。自分以外に参加しようとした人たちはいたが、それほど多くには見えなかった。信仰への距離感や考え方の違いで参加しないのだと思った。
◆どういう部署で、どんな任務についていたのか? 他の仲間は?
モハメッド:自分は4人の戦闘員の責任者になった。いわば小さな分隊長だ。自分の上官はアブサイードという中年のイラク人で、彼の指示に従った。横のつながりはなく、情報は彼からだけで、他の人は知らない。
街 の外にあるスルタン・アブドゥラ地区で防衛任務にあたった。不審者が入ると銃で撃った。3日間、部隊の仲間と共同生活をしながら任務をこなし、3日間村へ 帰り、休暇をとった。その繰り返しだった。自分の地域の地元の戦闘員はそういうサイクルではないかと思う。外国人戦闘員の存在は知っていたが見たことはな い。指導者バグダディ師も直接見たことはない。
◆家族はいるのですか? あなたがISにいることをどう考えていたか?
モハメッド:妻と子ども3人がモスル郊外の村にいる。家族は自分がISで働いていることを知っていたけど、やめてほしいなどとは言わなかった。
給料として月に30万ディナール(約3万円)をもらった。それは家族に十分なお金ではなかったが、なんとかやっていけた。自分は勉強ができなかったから高 等教育を受けられなかった。小学校を出てから建設作業員の仕事をしていた。月に15万ディナール(1万5000円)を得るのがやっと。生活はつらかった。
◆モスルでの日常生活は?
モハメッド:ガスがない。あと電気の状況もよくなかった。一日に2時間だけで、あとは発電機をまわした。学校や診療所は開いていた。市場には野菜や果物が十分にあった。市内のバルドゥ地区ではそれらの値段を半分近くまで下げていたから、市民生活は決して悪くはなかったと思う。