◆法治の放棄か

さらに、政府がもう一つ合憲の根拠として上げているのは1972年の政府見解です。その年の10月14日に参議院決算委員会に提出されました政府見解です。
「我が国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないのは明らかであって、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするた めに必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」という部分は、今回の政府見解をまとめる際にかなり参考にされたようです。言い回し が似ています。

「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」の内容に集団的自衛権は入っていると解釈して、だから従来から集団的自衛 権は排除していなかったのだというのが、もう一つの根拠になっているわけです。ですが、このあとで、「集団的自衛権は許されない」と書いてあります。一節 だけを取り出して、都合よく曲解したというのが問題になろうかと思います。

ですから、根拠はないということになります。必要だからという理屈だけで突っ走っているのが今の法案の内容です。ですが、必要だからといって何でも やってしまったら、法治国家ではなくなってしまいます。そんなことを認めるわけにはいかないという話になるわけです。もはや問題は9条だけの問題にとどま りません。日本が法治国家としてあり続けるのか、あるいは人の支配になるのかという局面を迎えているのではないでしょうか。

心配なのは今の日本の状況です。従来の専守防衛とか、非核三原則など、これまで作り上げてきた国家の構造が根底から揺らいでいる。そういう状況です。集団的自衛権の容認は、まさしく専守防衛政策からの転換です。

切れ目のない法制を整備することによって、憲法と政治の「裂け目」が拡大することで、これは修復しがたい状況になるのではないかと思います。憲法に 基づく政治がもはやなくなっていく、そういった分かれ道に立っているのではないかと思います。(了)【矢野 宏・新聞うずみ火】

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