2014年5月に福井地裁で出された大飯原発3、4号機の運転差し止め決定の判決は、住民の立場に寄り添った画期的なものだと評価された。ところが最近、 鹿児島地裁から、川内原発の再稼動差し止め仮処分という住民の申し立てを却下する判決が出された。何がこの違いをもたらしたのか。かつて反原発訴訟に関 わった経験を持つ元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんに話を聞くとともに、同研究所退官を機に、これからのご自身、そして反原発運動のあり方を語っ てもらった。(ラジオフォーラム)
◆人として自立しているかの問題
ラジオフォーラム(以下R):原発再稼動差し止め訴訟において、福井地裁と鹿児島地裁では全く正反対の判決が出ています。この違いをもたらしたものは何でしょうか。
小出:裁判官という人たちは、どういう人たちだと思いますか?非常に正義感が強く、良い人たちだと思いますか。 私は全然そうは思わないのです。学者という人間もそうですが、学者にしても裁判官にしても、非常に上昇志向の強い人たちで、「出世しろよ、出世しろよ」と 人生を走らされて、名誉も欲しいというような人たちが学者や裁判官になっているのです。
そういう人たちにとっては、国には絶対に楯突かないということが当たり前になっています。それが一番の不文律になっているわけです。少なくとも原子 力に関する限りは、国が原子力を推進してきたことで、巨大な権力機構がもうすでにできあがっているわけですから、それに楯突くようなことをすれば出世がで きなくなります。裁判官とか学者とかいう人は、決してそんな立場を取らないのです。
だから私は原子力に関する限り、裁判には一切期待をかけないという立場で長年やってきました。私も若い頃は、裁判ではきちんとやってくれるだろうと 期待をかけたことがあって、私自身が証人として出廷したこともありますが、この国では絶対ダメだということが分かり、以降裁判には一切の期待をかけなくな りました。
ところが昨年、2014年5月21日に福井地方裁判所の裁判官が、大飯原子力発電所の3・4号機の再稼働をさせてはならないという判決を出したので す。私は本当にびっくりしました。素晴らしい判決なのです。「こんな裁判官がまだ日本の国にいてくれたんだな。本当にありがたい」と思いました。福島第一 原子力発電所の事故が起きたという、何よりその事実がその裁判官を支えているのだと思いました。
これから少しでも多くの裁判官が事実をきちんと踏まえて判決を出してくれるようになってほしいと願いましたが、ついこの間、九州電力の川内原子力発 電所の判決に関しては、稼動差し止めの仮処分が却下されて、全く逆戻りしてしまいました。国がやっていることは全て正しいということで、原子力発電所を動 かしていいというような判決になってしまったのです。
言ってみれば、私は裁判官一人ひとりの個性というか能力というか、それの違いがこの判決を分けたんだろうと思います。もっときっちりとした人間、一 人ひとり自立した人間、裁判官もそうですけど、そういう人間が育たない限りは、やはりまだまだダメな時代が続くのだろうなと思います。