◆身の回りの差別に向き合う
R:小出さんは今後、どのような活動をされるのですか。
小出:私は3月、京都大学を定年退職しました。要するに、京都大学と雇用関係が切れるということになったわけで す。私としては定年というのは単なる社会的な制度に過ぎないと十分認識しています。ただし、それと同時に、生き物というのはどんな生き物も老いていく。そ して、いつか死ぬということは仕方のないことなのであって、私も生き物として老いていくのです。老いてきたし、老いていくんだということは避けられないわ けです。そういうことを自覚しろよという、ひとつの一里塚だろうと私は思います。
これまでも私は、愚かにも原子力に夢を持ってしまった人間として、私にしかできないことだけに自分の力を集中し、原子力に抵抗しようと思って生きて きました。これからもそうしようと思いますが、だんだん年老いていくということを自覚しながら、私にしかできない仕事をこれまで以上に厳選して、少しずつ 減らしながら、やはり退いていくしかないんだろうなと思います。
R:喉もと過ぎれば、原発事故をも忘れさせようという国です。小出さんは、私たち一般人ができることとはどのようなことだとお考えですか。専門家ではなくとも、何らかの形で小出さんの後を継ぐことはできるのでしょうか。
小出:私は自分のことを、専門的な立場から原子力に抵抗するという特殊な役割を負った人間だと思っています。そ の特殊な立場にいる人間として、できることをやってきたつもりです。ただし、私が原子力に抵抗しているのは、原子力発電という技術が危険を抱えているから とか、そんな理由からではないのです。
原子力というのが徹頭徹尾、差別的であり、他の人たちに犠牲を押し付けるという、そのこと自身に私は抵抗してきたつもりなのです。そのことを私は一 言で言うと、「差別というものに抵抗する」というふうに表現しているのです。私の場合はたまたま原子力だったということであって、皆さんの周りにも、きっ と差別というようなものが多数存在していると思います。そういう本当に身の周りの切実な問題に皆さんが関わって下さるのであれば、その関わりは私が今、原 子力に対して関わっている関わりと通底していると思います。
全ての差別に抵抗して、差別を少しでもなくしていけるということができるのなら、原子力もなくなっていくでしょう。差別がなくなるのであれば、原子力なんて簡単になくなるんだと私は思います。
皆さんが、私と同じように原子力に対して戦うということは、なかなか難しいと思います。けれども、皆さんの身の回りの本当に切実な問題に、皆さんお 一人おひとりが関わって下さるのなら、私にとっては一番ありがたいことだし、それをやれば、きっともう少しましな社会になるだろうと思います。
※小出さんの音声をラジオフォーラムでお聞きになれます。