石丸 海外では、本当に飢餓が起こるほど食糧が足りないのか、誇張ではないかと見る向きもありましたが。
キム 農村、農民の手にはもはや何もないということを理解する必要があります。安岳郡などでは、10、11年の 「分配」(協同農場の収穫のうち農民の取り分)はゼロでした。農民の働く意欲は、もうとっくの昔になくなっていますよ。「働かなければ『分配』はないぞ、 労働鍛錬隊送りだ」と脅し、力ずくで動員しても、すぐにいなくなってしまう。
たとえば海辺に近い地域の農民たちは、貝拾いやワカメ取りをしに海に出ていってしまうのです。分配が支給されるか定かでない農場の仕事よりも、手っ取り早く現金収入になる海産物拾いの方が確実ですから(※編集部注――海産物は主に軍傘下の会社が買い上げてくれる)。
農民たちは「農作業なんかやって何が得られるのか!」と息巻いて、幹部の制止も聞かないですよ。黄海道の農場で農民の姿を見かけるのは秋の収穫時ぐらいです。農民たちは、なんとか収穫前にコメをくすねて食べ物を確保しようと必死です。
収穫が終わると軍の部隊が来て持って行ってしまいますから。盗んだコメはビニールにくるんで、キムチ甕の中や、屋外の便所の底に隠しておくんです。 しかし、保安部(警察)、保衛部(情報機関)をはじめ農場の管理委員長などの役人たちは、上から降りてくる軍糧米などの上納ノルマを満たそうと、家中をあ さって根こそぎ奪って行くのです。農民に「死ね」と言っているようなものだ。
「畑にあるときだけが農場員のものだ。刈り取ったら分組長のもの、脱穀場に行くと保安員のもの、里(リ)に運ばれると管理委員長と里党書記のものだ。だから農場員は畑にあるときに命がけで盗まなきゃならない」、農民たちはこう言っていますよ。
いくら働いても手元には何も残らない。だから、どうせ働くなら山の中にこっそり自分の畑を作って働く方がましだ、となるんです。農場の仕事がはかどるはずがありません。生産はずっと前から年々減っていきました。
石丸 飢えで人が死んでいく中、国家は救援策を取らなかったんですか?
キム 12年4月の田植えの時期になって、「黄海南道の農民が飢えで動けない」と金正恩に提訴(報告)が上げら れたそうです。それで金正恩はすぐ軍に指示し、中国から輸入したトウモロコシで麺を作り、農作業に出てくる農民に限って与えましたが、こうした支援もわず か数日続いただけで終わりました。矛盾した指示でしょ。軍隊が食糧持って行ったために飢えているのに、また少しだけ戻せだなんて。(続く)
<奪われるために働く農民たちの悲惨>記事一覧
※当記事は、『北朝鮮内部からの通信「リムジンガン」第7号』に掲載されています。
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