◆ 局排とは大きな掃除機

その根拠として重要な位置をしめるのが本連載第8回に紹介した国側証人で局所排気装置や労働安全衛生の専門家である沼野雄志氏の証言だ。

沼野氏は1960年段階では局所排気装置を一般の事業者では製造できなかったはずだと主張し、実用化がきちんとできて、一般的に普及できるようになったのが1966~71年ごろと証言した。

証人尋問や関連資料に目を通していて気づくのは、沼野氏の局所排気装置へのある種のこだわりである。

専門家からすれば当然のことかもしれないが、沼野氏のいう局所排気装置とは、一定の除じんが可能かというだけでなく、意図した性能を無駄なく発揮す る効率性も備えた現在の技術的水準に遜色ないレベルのもので、現在の科学的知見でいう「局所排気装置」以外はそう呼ぶことすら認めないという強いこだわり ぶりである。

同時に沼野氏は局所排気装置が粉じんをどれくらい捕集できるか現場で実験して、能力を実証できなければならず、1960年にはそれができなかったとも主張していた。このあたりが現場での試行錯誤や創意工夫が必要との判決の論拠とみられる。

だが、裁判で問われているのは一定の除じん能力を有する局所排気装置をつくれたかどうかである。現代水準の設備ができたかというものではない。

そもそも局所排気装置は、有害粉じんの発生源近くに設置するフードとそれをつなぐ管であるダクト、空気を引き込むための扇風機のようなファン、そし て粉じんを捕集する集じん設備で構成される......などと書くとややこしいと思われるかもしれないが、設備的にはたったそれだけである。いってしまえ ば家庭で使われる電気掃除機を大きくしたようなもので、ごく単純な設備である。

判決は、これを設置するのがいかにも困難なことのように書いてある。

だが、要するに掃除機でほこりを吸いとるときにどのような吸い取り口の形状が良いか、管の部分の太さや置き方をどのようにしたときに効率よく吸いとってくれるかといった話である。

もちろん技術的にはフードの設計や風速の制御、粉じんの搬送速度が適切になるよう設計、設置する必要があるということで、現在の技術的知見からすれば劣っている部分もあろうが、構造的には単純なのだからある程度の能力を持つものをつくることがそれほど難しいとは思えない。

原告側弁護団副団長の村松昭夫弁護士らが「局所排気装置の基本は戦前からいまにいたるまでまったく変わってない。そんな難しい設備じゃない」と反論するのはそうした事情からだ。

「昭和31年資料」にしても、気流分布、排風量などの計算方法、設備の製作、設置の手順、フードの形状などかなり詳細にわたって説明している。設計 図面や完成図に基づく説明でないこと、さらに設置する作業場向けの調整が必要なことが〈一般の技術者が理解するには困難〉という理由である。

設計図面と完成図に基づく詳細な説明がなければ、一般の技術者に理解できないというのは暴論だ。

それほど複雑な形状でもないフードやダクトを写真や基本的な図面から独自に起こせないようなことはまず考えられない。町工場でも普通に行われていることで、あまりにも技術者を馬鹿にしている。

高裁判決が採用した認定事実に泉南地域の業界団体の申し合わせについての以下のような記述がある。

〈昭和33年(引用者注:1958年)には、このような状況に危機感を抱いた地元の事業者らが、「アスベスト振興会」を結成し、各作業場に局所排気装置を設置すること及び労働者に防じんマスクを着用させることの申し合わせがなされていた〉

この取り決めが形式的なものだった可能性はあるが、そうした事実は示されていない。業界側でもこうした動きが出るほどなのだから、実際には局所排気装置の設置はそれほど困難ではなかったのではないか、と考えるほうが自然だろう。
つづく【井部正之】

<大阪・泉南アスベスト訴訟を振り返る>一覧

※拙稿「「悪魔の判決」と批判される泉南アスベスト訴訟高裁判決の本当の意味【下】」『ECOJAPAN』日経BP社、2011年12月19日掲載を一部修正

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