石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて振り返るととも に、残された問題について考察する。第11回は「悪魔の判決」と批判された2011年8月の大阪高裁判決(第1陣)の特異性をさらに掘り下げる。(井部正 之)
◆一部企業では1955年に「局排」導入ずみ
本連載第8回に紹介した国側証人で局所排気装置や労働安全衛生の専門家である沼野雄志氏のインタビュー記事に興味深い記述がある。
沼野氏は大学卒業後、東芝に入社し、卒業前に同社のテレビ部品のメッキ工場に実習に行った。
「ひどい環境だろう」と思っていたそうだが、行ってみると非常に環境がよく驚いた。それは当時の課長が米国から文献を取り寄せて局所排気装置を設置していたからだという。
沼野氏は証人尋問でこのことを聞かれ、1955年のことだと明かしている。
となると、実際にはそれより以前に実用化されていたではないかと問われると若干ニュアンスが違うとして次のように説明した。
「アメリカ軍の仕事をしなければやっていけない会社が多かったんですよ。この会社もアメリカ軍の仕事を請け負ったわけです。で、アメリカ軍の仕事を 請け負うときには、設備等について、アメリカの規定に合ったものを付けなければいけないという指導があるわけです。で、それをアメリカさんからいただいた わけです」
実際には設備をもらったというわけではない。沼野氏は国側の反対尋問でもう少し詳しく説明している。
「東芝の当事者に、設計する能力がなかったということです。ただアメリカ軍から労働環境の改善とその技術の中に参考文献として上げられております が、昭和30年(引用者注:1955年)のそのときから4年くらい前だったと記憶しますが、アメリカでスタンダードができているんです。で、そのスタン ダードに基づいた図面をアメリカ軍のほうから渡されて、こういう設備にすれば注文をやると言われて、その通りに作ったわけですね」
インタビューに答えた際の発言と法廷での証言のどちらが本当に正しいのか判断しにくいが、仮に法廷でのそれが正確だとしても、少なくとも1955年段階でこうした図面があれば局所排気装置を製造、設置することができたことを東芝の事例が立証している。
すでに述べたように判決では、局所排気装置は作業現場の実態に合わせて設計・製作する必要があり、既製品での対応が困難、それぞれの現場で試行錯誤を要したという。そのためオーダーメイドをしなくてはならず、そう簡単に設置できないとの考えを示している。
だが、東芝に対してアメリカ軍が提供したのは「スタンダードに基づいた図面」というから標準的な設備を設計するための図面で、東芝の工場に合わせてオーダーメイドしたものではあるまい。
それに法廷での沼野氏の弁によれば、アメリカ軍の仕事を受けるためにその直前に図面をもらって設置したというのだから、製造も設置もそれほど難しいものではなかったことが推察される。
つまり技術的に製造も設置も可能だったとみるのが妥当だろう。
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