石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて振り返るととも に、残された問題について考察する。第12回は「悪魔の判決」と批判された2011年8月の大阪高裁判決(第1陣)の特異性をさらに掘り下げる。(井部正 之)
◆米国でも「局排」設置が無理とのウソ
大阪高裁判決(第1陣)は局所排気装置の研究や設置が進んでいたはずの米国でも1976年の時点で多数の作業場で局所排気装置が設置されていなかったり、有効に機能していなかったとの報告があったことにも触れ、日本で当時この装置の導入が不可能だったとの論拠にしている。
だが、これについても「大嘘なんです」と原告側弁護団の一人は指摘する。
「元の論文は行政の監督指導がゆるかったため、規制がきちんと守られなかったことを書いているものでした。技術的に困難だったといった内容ではありません。本当に都合のいいところばかり引用している」
しかも原告側弁護団は当時ノースカロライナ州では、厳しく規制を守らせるよう監督指導をした結果、それまでのアスベスト粉じんによるひどい労働環境が著しく改善されたとの調査報告を見つけ出している。
1961年に発行された『Archives of Environmental Health』誌にはアスベスト紡織作業について章が設けられ、その報告が紹介されている。
それによれば、1936年当時ノースカロライナ州の石綿紡織工場ではアスベスト粉じんの飛散がひどく、機械の向こう端や少し離れたところに立つ同僚の姿さえ見えないほどだった。
健康被害の状況もひどく、175~200人が働くこの石綿紡織工場では、労働者の半数がある程度進行した石綿肺(石綿曝露によって発生するじん肺)を発症している可能性があったという。
そのため、同年ノースカロライナ州の公衆衛生局は、労働者のレントゲン検査および健康診断を実施する労働者の健康管理制度を立ち上げた。
これは民間保険会社による労働災害保険を連動させたもので、同州による年一度のレントゲン検査で結果が良好であれば、石綿工場での就労を許可する 「ワークカード」を発行する。石綿肺が見つかった場合は、それが初期段階であってもワークカードは与えられない。そのかわり進行した石綿肺と同様に労災と して補償を受けることができる。
こうした健康診断の実施と並行して同州公衆衛生局は、粉じんの測定結果に基づく是正措置を工場に求めていった。
1936年当時、石綿紡織工場における粉じんの測定値は45~210MPPCF(Million Particles Per Cu.Ft. of Air=1立法フィート中に100万の粒子が存在する状態を1とする単位)で、半数ちかくが100MPPCFを超えていた。同州における当時の規制値は 5MPPCFで、その達成は当初不可能と思われていた。
だが、同州公衆衛生局が厳しく除じん設備の改善などの是正措置を求めていった結果、1960年には同州の石綿紡織工場の粉じん濃度は0.3~4.6MPPCFへと劇的に改善した。
初期の石綿肺など珍しくもなかった当時の工場にとっては、診断結果しだいで労働許可が出ず、工場が閉鎖となる可能性まであったため、是正措置に応じざるを得なかったのだろう。
こうした取り組みにより、1958年には石綿肺が「ほぼ撲滅」されたという。
このノースカロライナ州の事例からも、高裁判決が示した、米国でも1976年の時点で多数の作業場で局所排気装置が設置されていなかったり、有効に 機能していなかった"実態"から1960年段階では同装置の製造・設置は困難だったとの判断が「大嘘」というのは間違いあるまい。
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