◆大阪高裁判決の「幻の世界」
以前に紹介した「特異な判決」「人命を軽視した判決」という識者の判決評はじつに的を射ている。
村松弁護士をはじめ数人の原告側弁護団の弁護士から「3.11の大震災と原発事故への配慮を感じる」と聞いた。
じつはこれに触れた専門家の指摘がある。いち早くアスベスト問題に着目して『静かな時限爆弾 アスベスト災害』(1985年、新曜社)を著し、被害の発生を警告した東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授(災害心理学)である。
「妥当ではない判決。当時の零細企業が置かれた経済的事情や雇用の状況を考えれば、この程度の健康被害で国がいたずらに規制を加えるべきでない、と いう判断だが、当時の欧米でのアスベストへの科学的知見や厳しい規制の状況に比べ、日本の対応が適切とは言い難い。今回の原発事故で、政府は『安全』の明 確な根拠もないまま原発作業員の被ばく線量限度を100から250ミリシーベルトに変更した。将来、健康被害が生じて訴訟が起きる可能性があるが、この判 決が前例となり『(当時の対応は)やむを得なかった』などというご都合主義の判断が乱用される恐れがある」(「京都新聞」2011年8月26日)
3.11東日本大震災によって引き起こされた福島第一原発事故により、近い将来発生することが現実味を帯びてきた放射線障害の被害者が起こすであろう国賠訴訟を視野にいれた地ならしとの懸念である。
それはすでに行政や司法が原発事故にともなう多数の被害者の発生と大規模な国賠訴訟を予測し、そのときのための防衛戦の準備を始めている可能性を示 唆する。いかにもありそうで暗うつとした気分にさせられる。高裁判決で改めて"産業優先"を打ち出しているあたりからも、司法の側の路線変更といった雰囲 気を感じる。
水俣病をはじめとする産業公害や環境被害では被害を認めず、その実態を小さく見せようとする国と、被害実態を明らかにして補償せよと迫る患者とが激しく対立してきた。そして被害者側が科学的な根拠に基づいて少しずつ国に被害を認めさせてきた歴史がある。
すでに発生から60年ちかくたっている水俣病公害にしても、これまで国が認めてこなかった被害が最高裁で認められたのが2005年とわずか6年前にすぎない。しかもいま現在も、その被害が水俣病と認定されず、訴訟を続ける被害者すらいるのが現状である。
今回の高裁判決が示した"産業優先"の思想により、アスベストの「社会的有用性」と「労働者の健康被害の危険の重大性」や被害規模を天秤にかけて規 制の実施を決めればよいというバランス論が判断基準となるならば、おそらくどのような産業公害や環境被害でも国の責任は免罪されることになる。
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