石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月、大阪・泉南地域のアスベスト被害者やその家族らが国を訴え た「泉南アスベスト国賠訴訟」で、最高裁は国の責任を断罪して終結した。日本における「アスベスト被害の原点」とされるこの訴訟を改めて振り返るととも に、残された問題について考察する。第13回は「悪魔の判決」と批判された2011年8月の大阪高裁判決(第1陣)の特異性をさらに掘り下げる。(井部正 之)

東京・永田町にある最高裁の裏門前。判決前にはカメラマンの場所取りで脚立が並ぶ。「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」の2011年の大阪高裁では、石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月の最高裁では国の責任を断罪して終結した。(撮影:井部正之)
東京・永田町にある最高裁の裏門前。判決前にはカメラマンの場所取りで脚立が並ぶ。「大阪・泉南アスベスト国賠訴訟」の2011年の大阪高裁では、石綿被害について国は責任回避のために嘘と隠ぺいの主張を繰り返してきたが、2014年10月の最高裁では国の責任を断罪して終結した。(撮影:井部正之)

 

◆判決で労働者をどう喝

大阪高裁判決(第1陣)を子細にみていくと、原告が敗訴となった論拠がきれいにすべて崩れていく。

それもちょっと読んでわかる程度のものも少なくない。それほどずさんな論理構成なのである。高裁判決は前回紹介した村松弁護士の指摘どおり、原告敗訴というあらかじめ決めた筋書きに合う事実だけを証拠から寄せ集めてつくり上げられているのは間違いあるまい。

高裁判決は裁判所が国の立場から判決を書いてもきちんと論理的に国の対応の正当性を示すことができなかったことがはっきりあらわれている。結果として逆にアスベスト対策における国の失策を立証しているといってもよい。

なぜこのような無茶苦茶な判決ができたのか。

国の勝訴という結論を決めたうえで、そのために何が必要かと考えると容易に思いつく。

国の責任を逃れるためには事業者や個人に責任を押しつけなくてはならない。そのためには国が情報提供をおこたったのではなく、労働者も危険性を知っていたことにすればよい。

局所排気装置の設置が可能だと、国の敗訴となるので不可能だったと決める。すでに防じんマスクはあったから、これを着用しなかった労働者が悪い。そんな程度の筋書きである。

そして、そうした判断を補強するために持ち出したのがアスベストなど有害物質の規制において禁止措置や許可制の導入は〈工業技術の発達や産業社会の発展を著しく阻害〉するという"産業優先"の思想である。

あげくにアスベスト製品の製造禁止や許可制の導入は〈労働者の職場自体を奪うことになりかねない〉と判決の中で労働者をどう喝している。
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