◆71年以降は国の責任認めず

今回最高裁判決が出たのは、泉南地域の石綿紡織工場の元労働者や住民が石綿肺などの病気を発症したのは国が適切に規制権限を行使しなかったなどとして賠償を求めた訴訟だ。

大阪・泉南地域は1900年代初頭に、アスベストを紡いで糸や布を作る、石綿紡織産業が日本で初めて興った場所だ。

富国強兵政策の下、戦艦建造にアスベストの保温材やパッキンが必要だったためで、国策といってよい。最盛期には200社以上の石綿紡織工場が建ち並び、当時、泉南地域で作られた石綿紡織品は全国シェアの約8割に達したという。

その結果、早くから労働者を中心に石綿肺や肺ガン、中皮腫といった、多数のアスベスト関連疾患による被害者を出した。そのため日本における「アスベスト被害の原点」とされる。

そうした元労働者やその遺族89人が国を訴えた泉南アスベスト国賠訴訟は2006年5月に提訴した第1陣(原告34人)と2009年9月提訴の第2陣(原告55人)の2つの集団訴訟で争われてきた。

第1陣訴訟では1審でこそ一部勝訴したものの、2審で逆転敗訴した。第2陣訴訟は1審、2審とも勝訴と判決が割れており、10月9日の最高裁判決はそれら2つの訴訟について、統一判断を示すものだった。

最高裁判決(白木勇裁判長)は、まずアスベスト粉じんを除去する局所排気装置の設置義務づけについて、1958年にはすでに〈実用性のある技術的知 見が存在する〉と指摘。〈旧労基法に基づく省令制定権限を行使して、罰則をもって石綿工場に局所排気装置を設置することを義務付けるべきであった〉と、 1958年から1971年までの国の責任を認定した。

一方、1971年以降の国の責任は否定した。

国が事業者に対する防じんマスク使用や特別教育の義務づけ、抑制濃度の強化を実施しなかったことは〈著しく合理性を欠くとまでいうことはできない〉との判断だ。

判決により2陣原告のうち54人に対し、計約3億3000万円の国の賠償責任が確定した。1陣原告の28人は改めて賠償額を算定するため大阪高裁に差し戻した。7人は敗訴となった。

原告側弁護団の村松昭夫弁護士は「71年以降を認めなかったのは非常に残念だが、58年からの国の責任を認めたのは大きい」と判決の意義を強調する。(つづく)【井部正之】

<大阪・泉南アスベスト訴訟を振り返る>一覧

※拙稿「最高裁が国の責任を認定 「産業より人命」を改めて確認」『日経エコロジー』日経BP社、2014年12月19日掲載を一部修正

★新着記事