◆被害者切り捨ての指摘も
だが、判決に対する厳しい見方もある。
被害者の掘り起こしや支援活動に尽力してきた市民団体「泉南地域の石綿被害と市民の会」の柚岡一禎さんは、最高裁を出て記者会見の会場に向かって歩 きながら、「泉南地域の石綿紡織業は1971~75年がピーク。一番やってたそこが切られたらたまらんわ。負けとるやないけ」と目に涙をためながら吐き捨 てた。
今回の訴訟では原告の大半が「勝訴」となるが、最盛期における国の責任が抜け落ちたことで実質的にはより多くの労働者が排除されたとの見方だ。
このあたりは村松弁護士をはじめとする弁護団も不満に感じている部分だ。この間あまり触れられていないが、アスベストの発がん性が明らかになった時期を最高裁は1971~72年としたにもかかわらず、それ以降の責任を認めなかった。
「最高裁は石綿工場ではアスベスト曝露の防止のためには局所排気装置の設置が主であって、防じんマスクの着用は『補助的手段にすぎない』とした。し かし、1971年以降は発がん性の認識が明らかである以上、極力アスベストを吸ってはならないわけですから、防じんマスクは非常に重要です。それが『補助 的手段』との判断には一貫性がない」(村松弁護士)
それまでのじん肺の1つとの位置づけから、より少量で被害を発症する発がん性が明らかになって以後では意味合いが異なる。発がん性がある以上、できるだけ曝露しないことが重要になる。
今回最高裁が自ら改めて示した「最新の技術的、医学的知見に基づいて適時かつ適切に規制する」との原則に忠実であれば、防じんマスクの使用が「補助的手段」との位置づけは明らかに矛盾する。(つづく)【井部正之】
※拙稿「最高裁が国の責任を認定 「産業より人命」を改めて確認」『日経エコロジー』日経BP社、2014年12月19日掲載を一部修正