イラク戦争を取材した「イラク チグリスに浮かぶ平和」。戦争へ傾斜するかのような時代において、私たちの世界観やジャーナリズムのあり方について多くの示唆を与えてくれる。
イラク戦争を取材した「イラク チグリスに浮かぶ平和」。戦争へ傾斜するかのような時代において、私たちの世界観やジャーナリズムのあり方について多くの示唆を与えてくれる。

この映画にはベトナム戦争に関する国防総省の秘密報告書「ペンタゴン・ペーパーズ」を暴露したダニエル・エルズバーグ(元国防総省顧問)も度々登場してい る。若きエルズバーグは、「われわれは5代にわたる大統領に騙され続けてきた。あまりにも簡単に騙されてきた」と語り、政府の隠してきたベトナム戦争の過 ちの告発に踏み切った理由を述べている。大統領とその取り巻きたちが何を隠し、どのように国民を欺いてきたのか。国民を大義なき戦争に駆り立てた責任は誰 にあるのか。膨大な秘密報告書は、国家の犯罪を余すところなく暴くことになった。

当時のニクソン大統領は、秘密報告書を掲載したニューヨーク・タイムズの発行差し止めを求めて提訴するが、ニューヨーク・タイムズは徹底的に闘う姿 勢を貫き、上告審の連邦最高裁判所は大統領の訴えを却下した。この事件は権力と対峙して憲法修正第一条の言論の自由を守り抜いたジャーナリズムの勝利とし て歴史に刻まれることになった。アメリカのジャーナリズムのもっとも輝いていた時代の出来事である。

もう一本のドキュメンタリーは、ベトナム戦争以降、アメリカがもっとも大規模な軍事行動を展開したイラク戦争をイラク人の側から記録した「イラク チグリスに浮かぶ平和」(綿井健陽監督/アジアプレス・インターナショナル)である。

綿井氏は2001年の9.11同時多発テロの報復戦争として始まったアフガン攻撃から、2003年のイラク戦争を現地で取材し、これらの戦争で犠牲 となった市民の姿を映像で記録してきた。このドキュメンタリーにはアメリカ軍の空爆で家族を失った父親や傷ついた市民の10年後(2013年)の姿も描か れている。インタビューされた人びとは、アメリカ軍のバグダッド侵攻によるフセイン政権崩壊を当初は歓迎した人びとも含めて、皆アメリカへの憎しみを口に している。いまでは「独裁者からイラク市民を解放する戦い」というアメリカの主張を信じているものはほとんどいない。アメリカ軍の「誤爆」で両足首を切断 した若い女性は、「アメリカを支持したすべての国に責任がある。自衛隊を送った日本にも責任があるのです」と語っていた。

そもそも開戦の理由となったフセイン政権による大量破壊兵器の保有、テロリストたちとのつながりなど、いずれも「ウソ」であったことはアメリカ政府 も認めており、戦争の大義(正義)は完全に崩れ去っている。イラクでは、アメリカ軍撤退後も形を変えて内戦となり多くの死者を出し続けてきた。イラク戦争 開戦以来、犠牲となった市民の数は最低でも13万人を超えており(注・犠牲者数は「IRAQ BODY COUNT」より)、アメリカ兵の死者も4500人に迫る。捏造された理由で始められた戦争の責任を誰もとらないまま、混乱はイラクからシリアへ広がり、 中東の戦火は拡大している。

対テロ戦争という名分のもと、「世界の平和と安全」を掲げて行われたイラク戦争については、その旗振り役を担ったメディアの責任は重い。度々指摘さ れたことだが、イラク戦争の開戦当時、日本のマスメディアの記者は全員、バグダッドから撤退していたため、攻撃を受ける側からの報告はすべて、バグダッド にとどまったフリーランスや外電、テレビに依存していた。

一方、戦争を仕掛けた側の情報はホワイトハウスやカタールの米軍中央司令部などから大量に流され、マスメディアはせっせとそれを報じてきた。その結 果、「客観・中立・公平」を謳いながら、日本のマスメディアは戦争の正当性を読者、視聴者に刷り込む役割を忠実に果たすことになった。

アメリカの正義を鋭く告発したベトナム戦争報道と比べ、イラク戦争ではエンベッド取材などメディア規制が進み、批判精神は大幅に後退している。誇張 ではなく、この40年の間、ジャーナリズムは緩慢な死に向かってきたともいえる。テレビ報道の偏り、萎縮ぶりについては、「世界のテレビはイラク戦争をど う伝えたか」(『放送研究と調査 年報2004』NHK放送文化研究所)に詳しい。

ベトナム戦争やイラク戦争では、在沖縄の米軍基地もアメリカの軍事戦略の中でもっとも使い勝手の良い基地のひとつとして利用されてきた。ベトナム戦 争当時、嘉手納飛行場からはB52戦略爆撃機が飛び立ち、ベトナム人は沖縄のことを「悪魔の島」と呼んだという。沖縄北部の密林では「ベトナム村」が作ら れ、ベトナムでのジャングル戦を想定した海兵隊の訓練が行われていた。

また、辺野古にあるキャンプ・シュワブの海兵隊は、アメリカ軍によるイラクでもっとも大規模な殺戮が行われた「ファルージャの戦い」の主力部隊だったと言われている。

日本は、壮絶な地上戦を体験した沖縄の人びとの「2度と戦争の島にしたくない」という願いを踏みにじり、沖縄の土地をアメリカへ差し出してきた。復帰後も返還された基地はごくわずかであり、何も変わっていない。

残念ながら、日本という国はベトナム戦争、イラク戦争などアメリカの行う戦争を全面支持してきたにもかかわらず、戦争に加担した当事国であるという 意識はきわめて弱い。メディアも同じである。ベトナムやイラクの死者たちに対して、私たち日本人一人ひとりに責任があることは明らかである。

更にこの2つの戦争については、安保法制との関連で喚起すべきことがある。集団的自衛権である。ベトナム戦争では、集団的自衛権の名のもと、韓国、 オーストラリア、フィリピンなどが参戦している。韓国軍などは最前線に派遣され、約5000人の戦死者を出しただけでなく、アメリカ軍の散布した枯れ葉剤 の後遺症で苦しむ元兵士も多い。

イラク戦争においても、イギリスなど北大西洋条約機構(NATO)の武力行使の法的根拠は集団的自衛権である。同盟国であってもドイツ、フランス、 カナダなどは、安保理決議のない戦争は正当性に欠けるとして参戦していない。この戦争によるアメリカ以外の国々の死者の数は、優に300人を超えている。 また9.11同時多発テロ直後から行われたアフガン戦争では、アメリカ軍の死者数は2357人、イギリス軍453人、カナダ軍158人、フランス軍、ドイ ツ軍も50人以上の犠牲者を出すなど、アメリカ軍以外でも死者数は1100人以上にのぼる(注:死者数は慶応義塾大学 延近充教授の推計より)。

アメリカと一体化して集団的自衛権を行使することは、日本もそのような事態(犠牲)を引き受けるということを意味する。メディアはその重みやリアリティをきちんと伝えてきたのだろうか。

戦後、アメリカは数々の誤った戦争や軍事行動に関わっており、犠牲者は膨大な数にのぼる。そのことの検証も行わず、アメリカに全面的に追随、依存することはきわめて危うい。

歴史を振り返れば、「アジア太平洋地域の安定と繁栄を支えてきた日米同盟」(NHK「ニュースウォッチ9」)などという認識は一面的であり、「日米 同盟の強化」がもたらす現実から人びとの目をそらしている。このままでは、メディアは将来、戦争に至る道への先導役を務めたことを必ず後悔することになる だろう。
【野中章弘】

初出:『月刊ジャーナリズム』(朝日新聞社)2015年6月号

 

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