◆アメリカ~建国以来250回海外で武力行使
安保法制や新ガイドラインの孕む問題については、さまざまな観点から指摘されており、世論を二分するテーマであるにもかかわらず、日米同盟の強化を 前提とした議論ばかり展開され、アメリカとの軍事一体化の危険性についてはほとんど触れていない。問われているのはアメリカに全面的に追随する日本のあり 方であり、憲法よりも日米の同盟関係を優先させる政府のやり方である。
アメリカは建国以来、250回も海外で武力行使を行ってきた超軍事国家である。民主主義を標榜しながらも、国益を貫くためには軍事力を使うことに も、ためらいはない。アメリカは自分の意に沿わない他国の「自由」や「民主主義」「法の支配」を破壊する最大の国家でもあった。戦後、アメリカの掲げる正 義により、どれほどの人びとの命が不条理に奪われてきたか。歴史を点検すれば誰の目にも明らかである。
◆ベトナム、イラク 二つの戦争ドキュメンタリーから考える
いまちょうど「世界の平和と安定」を掲げて軍事行動を展開するアメリカの正義を問う2本のドキュメンタリーが公開されている。ベトナム戦争を記録し た「ハーツ・アンド・マインズ ベトナム戦争の真実」とイラク戦争を取材した「イラク チグリスに浮かぶ平和」である。いずれも戦争ドキュメンタリーの傑 作であり、戦争へ傾斜するかのような時代において、私たちの世界観やジャーナリズムのあり方について多くの示唆を与えてくれる。
「ハーツ・アンド・マインズ」はベトナム戦争終結から40年目となる4月に公開されている。この映画はアメリカで1974年に制作され、アカデミー 賞の最優秀長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しているにもかかわらず、2010年まで日本では上映されず、公開は今回で2回目となる。
1960年代、アメリカのベトナムへの本格的な軍事介入により、戦いは10数年続き、その結果、民間人の犠牲者は数百万人にのぼった。戦場における アメリカ軍の残虐な行為は、多くの戦争ジャーナリストたちによって報道され、アメリカ本国だけでなく、日本やヨーロッパで激しい反戦運動を巻き起こした。 軍事介入した当初、勝利を信じて疑わなかったアメリカは、戦争の泥沼化と国内外の反戦運動の高まりで、5万8000人の戦死者を残して、全面撤退を余儀な くされたのだった。
圧倒的な軍事力を持つアメリカはなぜベトナム戦争に敗れたのか。なぜアジアの小国に勝利できなかったのか。
映画のパンフレットの表紙にはこのような箴言が記されている。
「過去を記憶できない者は同じ過ちを繰り返す」(※注1:ジョージ・サンタヤナ 哲学者)
注1:批評家の粉川哲夫氏によれば、サンタヤナの言葉の中の「過去」は必ずしも歴史を意味しない、と指摘している。ただ、配給会社はパンフレットにこの言葉を掲載しているのでそのまま引用する。
またパンフレットには「あの最悪の悲劇から、人類は何も学ばなかったのか?」との見出しも付けられており、イラク戦争などを意識しながら、いまもベトナム戦争の教訓が生かされていない世界の現実を鋭く告発している。40年たっても、そのメッセージはまったく古びていない。
戦争を起こした側にはベトナム人の姿は視野に入っていない。アメリカの目的はあくまでベトナムの「赤化(共産化)」を防ぐためであり、人びとを救うことではない。
在ベトナム米軍を率いたウエストモーランド司令官は、「ベトナム人は成長途中の子どものようなもの・・・。人口も多いので命も安い。ここでは命は重 要なものではない」と述べ、ベトナム人の犠牲を顧みることはなかった。旧宗主国フランスとベトナムが戦った第一次インドシナ戦争では、フランスの元外務大 臣は、ダレス米国務長官から、「原子爆弾を2つあげてもいい」と持ちかけられたと証言している。
アメリカ兵にとっても、ベトナム人の命は軽かった。ベトナム空爆の任務に就いた元パイロットは、「操縦室からは爆弾の音も、血も見えず、叫び声も聞 こえない。ゲームのような感覚で爆弾の投下ボタンを押していた」とナパーム弾やクラスター爆弾の破裂した地上で起きている惨劇を想像しようともしなかっ た。彼の任務は決められた数の爆弾を命令通りに投下することであり、大量殺戮を行っているという認識はなかった。
ベトナム戦争を実行したホワイトハウスの政治家やそのブレーン、軍の将校たちは、共産主義の脅威から自由な世界を守るというアメリカの正義を疑うことはなかった。彼らの頭の中でベトナムの人命を考慮した形跡はない。
一方、地上でアメリカ軍と戦うベトナム人は、「侵略戦争をするアメリカこそ、野蛮な国だ」(僧侶)と訴え、「アメリカは何十年戦おうとベトナムを征服できない。食べる米のある限り、戦いは止めない」(棺桶職人)と巨大な軍事国家アメリカに屈しない強靭な意志を見せていた。