"2009年のイラン大統領選挙では、開票結果に疑念を抱く改革派支持の市民たちが抗議運動を開始。治安部隊との大規模な衝突だけでなく、小さな集団が夜な夜な町を静かに練り歩く草の根の抗議運動が展開した。写真は拳を上げながら筆者自宅前を通過する100人ほどの市民(2009/6月・テヘラン)FONT

◆アフマディネジャード圧勝の波紋

投票日から一夜明けた2009年6月13日朝、間票結果の中間発表を見ようと10時のニュースにチャンネルを合わせた。80パーセントが開票済み で、現職のアフマディネジャード候補が64パーセント、対抗馬である改革派のムーサヴィー候補が36パーセント。アフマディネジャードの圧勝がほぼ確定し ていた。

これはどういうことなのだろう。頭の中が混乱してきた。

投票率は85パーセントという驚異的な数字に達したそうだ。これはたぶん嘘ではないだろう。イランの選挙では前例のない候補者どうしのテレビ討論 や、連日連夜続いた支持者たちの街頭での討論や集会。その盛り上がりと自由な空気が高い投票率につながるだろうということは予想されていた。

外国メディアも、そしてイランの国営メディアでさえ、今回の選挙を、変化を求める国民的な大きなうねりとして、好意的に伝えていた。

私も、何か新しい時代がこの国で始まるような、そんな期待を抱いていた。4年前の大統領選挙より20パーセントも増した高い投票率が意味するものは 何なのか。それは、何かを変えたいと重い腰を上げて投票所に足を運んだ人たちの存在があったからではないのか。その結果が、どうして現状維持を求める人た ちの圧勝なのだろう。

4年前の選挙同様、私はまた見誤ったのだろうか?改革派が浮かれ騒いでいたのはテヘランだけのことで、地方ではまだまだアフマディネジャードの人気は衰えていなかったのだろうか。

だが、それにしては極端な結果が報じられている。イラン国営通信が報じた4人の候補の出身地の開票結果によれば、ムーサヴィー候補の村では約 7000票のうち5000票をアフマディネジャードが獲得し、もう一人の改革派候補であるキャッルービー師の町では64000票のうち40000票がアフ マディネジャードの得票となっている。レザーイー候補の出身地の村に至っては、900票のうち830票がアフマディネジャードに投じられた。また、アフマ ディネジャードがテレビ討論の中で痛烈に批判した政界の重鎮二人(ナテグ・ヌーリーとラフサンジャーニー)の生まれ故郷でも、やはり彼が圧勝しているの だ。

ムーサヴィー自身はこの日、必ず自分が勝利しているはずだとし、この開票結果の受け入れを拒否した。そして、票の再集計を求めるとともに、法的手段に訴えると声明を出した。

それに呼応するかのように、午後からテヘラン各地区の広場に、ムーサヴィーの支持者らが集まり、抗議の声を上げた。治安部隊は集会を解散させるた め、広場にいる若者を男女問わず無差別に殴打し、催涙弾も使ったという。中でも衝突が激しかったといわれるテヘラン北部・ヴァナック広場での騒乱の様子 は、その日のうちにユーチューブにアップされた。私の勤務中、そこから1キロほどしか離れていない広場での出来事だった。

一夜を境にして、すべてが変わってしまったかのようだった。選挙前の自由な空気が、どこか遠い、別の世界の出来事のように感じた。

◆「緑の運動」はじまる

明けて14日、アフマディネジャード大統領はテヘラン中心部のヴァリアスル広場を数万人の支持者で埋め尽くし、勝利宣言を行なった。

同じ頃、投票前にムーサヴィーの支持者らがしばしば集会を開いたテヘラン北部のパルクヴェイ交差点では、プロテクターを身につけた武装警官数十名が警戒にあたっていた。

行き交う車の一部は、クラクションを鳴らし、片手でピースサインを空にかざしながら運転している。ピースサインを高々と掲げ、互いにそれを示し合う のが、いつからかムーサヴィー支持者どうしの合図になっていた。そしてその手首には必ず、ムーサヴィー支持派のシンボルカラー、緑のリボンが巻かれてい る。
私を乗せた車の運転手は、「もう終わったのに、いつまで騒いでるんだか」と顔をしかめた。

昨日、今日と市内各所で大小の集会やデモ、そして治安部隊との衝突が起きていたが、出勤日である私はそれらのいずれも実際に目にすることができてい なかった。今日こそはと仕事を早めに終わらせ、何らかの動きがあると目星を付けたハフテティール広場にたどり着いたのは、19時半のことだった。ここから 大統領の勝利集会が開かれたヴァリアスル広場まで2キロほどと遠くない。勝利集会の余勢をかって、おそらくそのままここに流れてきたと思われる1千名近い アフマディネジャード大統領の支持者らで、すでに広場は埋まっていた。

ムーサヴィー支持派との衝突を回避するため、100名近い治安部隊も待機していた。しかし、広大な広場を埋めるのは、大統領のポスターとイラン国旗をはためかす大統領支持派ばかりで、緑のリボンを手首に巻いた人は1人として見かけない。これでは衝突は起きようもない。

バイクで来ていた40代の男性に話を聞いた。
「この4年間で生活が良くなったとは思えないよ。自営業だから、国営企業の社員みたいに毎年給料が上がるわけでもなく、生活は楽じゃない。でも、アフマディネジャードは好きだよ。あのしゃべり方も悪くない。大統領としてちゃんと仕事もしてると思う」

選挙に不正があった可能性について尋ねると、彼は少し考えてから、「正直、分からないね」と正直に答えた。

広場の至るところで、数十人から百人単位の集団が、シーア派の聖者を讃える言葉やスローガンを叫んだり、気勢を上げたりしながら広場を練り歩いてい た。そのとき、バンという鈍い銃声のような音が一発鳴り、群集が一斉にこちらに向かって逃げてきた。彼らとともに、唐辛子を燻したような空気が押し寄せ、 私は思わず顔を手で覆った。催涙弾だ。

あちこちで新聞や雑誌に火をつけ、小さな焚き火を囲んだ人垣が出来た。みなその煙を必死で浴びている。こうすることで目の痛みが消えるのだ。

「今の催涙弾は誰に向かって放ったものなんですか?」

私も煙を浴びながら隣の青年に聞いた。
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