中国側の三合鎮から、豆満江を隔てた北朝鮮の会寧市を臨む。煙突に煙りなく、道に車なく、槌音も聞こえてこない。8月後半、撮影石丸次郎(アジアプレス)
中国側の三合鎮から、豆満江を隔てた北朝鮮の会寧市を臨む。煙突に煙りなく、道に車なく、槌音も聞こえてこない。8月後半、撮影石丸次郎(アジアプレス)

 

敗戦から70年にあたるこの8月を、中国吉林省の延辺朝鮮族自治州で過ごした。
中国には、統計上約180万人の中国籍朝鮮人が居住し、うち80万人が北朝鮮に接する延辺に集住し自治州を形成している。

中国朝鮮族のルーツは、李朝末から植民地期にかけて、主に朝鮮半島北部から移住した農民たちだ。朝鮮族は戦前「日本人」であった。日本は朝鮮を併合 した後、中国に移り住んでいた朝鮮人の中国への帰化を認めず、半島に住む人と同様に日本国籍に編入させたが、抗日武装闘争に参加する人が後を絶たなかっ た。

その朝鮮族が、15年ほど前から大移動している。約50万人が主に出稼ぎで韓国に行き、日本にも5万人ほどが留学やビジネスで来ているとされる。また北京や上海、大連など都市に流出して、朝鮮族の農村コミュニティーは、すっからかんになって崩壊しつつある。

8月15日は中国では「老人節」。朝鮮族のお年寄りが延吉公園で飲んで歌って踊って民族解放の日を祝っていた。7月より関西空港から延辺の州都・延吉への直行便が就航した。撮影石丸次郎(アジアプレス)
8月15日は中国では「老人節」。朝鮮族のお年寄りが延吉公園で飲んで歌って踊って民族解放の日を祝っていた。7月より関西空港から延辺の州都・延吉への直行便が就航した。撮影石丸次郎(アジアプレス)

 

北朝鮮との国境の川・豆満江中流に位置する、龍井市三合鎮に行った。ここは、90年代後半から10年間ほど、対岸の咸鏡北道(ハムギョンプクド)会寧(フェニョン)市から脱北難民が大量に渡河して来た場所だ。

村の朝鮮族は同情して、北朝鮮から渡河して来た人に食事と衣類を与えて匿った。だが、今では脱北してくる人はほとんどいない。北朝鮮側の警備強化に加え、三年前に中国側に鉄条網が設置されたからだ。また三合鎮の朝鮮族人口が激減してしまったことも、原因のひとつだ。

延辺の人々の対北朝鮮感情が年々悪化している。越境者による強盗や殺人など凶悪事件が絶えないからだ。昨年9月以降、三合鎮の上流の村で、越境してきた北朝鮮兵などによる殺人事件が三件も起こっている。
「渡って来る北朝鮮人はもうほとんどいないねえ。来ても怖いし以前のように助ける人はいない」
かれこれ15年前から取材の度に立ち寄る食堂の女主人が言った。
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